一般的に「メンタルが強い」とは、歯を食いしばってがんばっているようなイメージです。
それは「嫌なことを我慢してできてしまう人」に見えます。
でも、その状態をずっと維持できることが本当に幸せかどうかは人それぞれです。
無理をしてストレス反応系に負担をかけていては、脳内の神経伝達物質にアンバランスが生じます。
「リラックスできなくなる」「眠れなくなる」「意欲がなくなる」「落ち着かなくなる」この段階まできて、ようやく「調子がよくない」と自覚します。
真のメンタルの強さとは、安定しているということです。
安定性があるからストレスに打ち勝つより、早くラクにする手段を取れます。
つらいことを続けるよりも快適になる対策を取れます。
考えるときの出だしも結論も「自分ってすごくいいね」と設定することを決意しておくとよいです。
大事なことは決意することであって根拠を作ることではありません。根拠を求めるから人と比較したりして悩むのです。
そうできるように日々練習すると体もメンタルも安定していきます。
そのためには、自分の気持ちが軽くなる人と一緒にいたり、そういう場所に身を置いたりすることです。
自分好みの景色や部屋、衣服、食事、音楽などを自分に与えていき、好みではないものは排除していくことです。
つまり、自分にやさしくしてあげることです。そして、自分がやさしくしたい相手に対しても、とことんやさしくしてあげたらいいのです。
リラックスできない、うまく休めていないから、うまく動けない。これがある一定の線を越えると普通なら休めるはずの環境でも休めなくなります。
普通の疲労とうつの違いはこの点です。
休むのにも練習が必要な現代人がたくさんいます。何かしていないと落ち着かない、休めないと訴えます。
休むとは家でじっとしていることだけではなく、気持ちのよいものに気づく、意識を向けるということです。
「いい天気だな」「お花がきれいだな」「風が気持ちいいな」など、心地いいものに意識が向くようになると休めてきます。
休めてくると、ますます心地いいものに意識が向くようになります。
それがユーチューブ動画やゲームなどでもよいのですが、往々にしてそういったものにはテンションを無理矢理上げるような仕掛けがたくさんあるので、何時間も見たり、続けているとくたびれてきます。
心地がよくても依存性があるようなものは、なるべく排除してください。依存性とは、それをしていることが快感になって止まらなくなってしまうことです。
お酒があるから生きていけるといった、「これさえあればなんとかなる」という感覚は黄色信号です。
甘いもの、ギャンブル、買い物、他人...何に依存しやすいかは人それぞれ異なります。
まずいなと感じたら、依存性のあるものには近づかないのがベストです。
次に休まる方法として繰り返しになりますが、嫌なことはしないということです。
力技でどうするかではなく、できるだけ雑音を排除するようにすることです。
たとえばパソコン作業にしてもそれだけしかできない環境へ行ったり、疲れる前に作業を止めて、海を見に行ったり、温泉に入ったり、クラシック音楽を聴いたり、全然違う本を読んだり、いろんなことを満喫してみます。
しかし、スマホをいじってユーチューブ動画を見たり、ネットサーフィンをしても、そのときは楽しいのですが、疲れてしまうのです。
感覚に意識を向け、それを味わうことでリラックスができるようになります。
「おいしいな」「気持ちいいな」と感じられることをしましょう。心もからだも休まっていきます。
仕事はつらくて当たり前、勉強はつらくて当たり前です。それらはみんな思い込みなのです。
大好きなゲームでも「明日までにすべてクリアしてこい」とか、楽しい部活動でも「次の試合に勝たなきゃ廊下に立たせるぞ」など毎日言われたら、「ゲームするよりも部活動するよりも数学を解いていたほうがずっと楽しい」と思うようになるでしょう。
「自由気まま」という言葉に自分勝手というイメージをもってしまうのは、「嫌なことでもしっかりやらないといけない」という思い込みがあるからです。
もし今つらいと思っている目の前のことは、本当にそこまで無理してやらなければならないことではないはずです。
嫌なことはできるだけしないというのが正常な人間の思考です。
嫌なことをいくらでもできるほうがおかしく、それはロボットにしかできません。
でも、「いつでも自由です。好きなことをして、ラクをして生きていけばいいです」と言われても、どうしたらいいかわからなくなってしまうかもしれません。
皆、1つひとつのこだわりがあるわけです。
・勤勉になれば幸せになれる
・お金持ちになったら幸せになれる
・太っているあるいはやせていることはまずい
・遺伝病があるから結婚して家庭なんかもっちゃいけない
そんな考えに縛られていたとしましょう。
しかし、あなたは見たり、体験したりできるのです。
同性同士でも結婚している夫婦もいます。
養子をもらっている家庭もあります。
生きづらさは、たまたまかつて居た場所のローカルルールにすぎません。
視点を広げてみれば、今囚われている悩みはもはや悩みではなくなります。
悩みが悩みではなくなるような人に会う、本と出会う、場所に行ってみることです。
悩みは俯瞰して見たら簡単に淘汰されることが案外多いものです。