氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

能力主義がもたらす格差の再生産

階級や家柄ではなく、能力によって地位を手に入れることを可能にする社会、つまり、がんばればみんなできるという「能力=平等主義」は、欧米諸国ではすでに1970年代前半に崩れ始めていました。

能力主義は社会の平等化ではなく、社会的不平等や格差の再生産に寄与しているという理論が唱えられるようになりました。

能力主義自体は、必ずしも悪いことではありません。しかし、資本主義社会における能力とは「他者より多く稼ぐこと」であり、「階層社会の上層階に行く」ことです。

富は才能と努力のしるしであり、貧困は怠惰のしるしであるという考えです。

才能と努力によって成功を収める機会を平等に与えることは一見、不正義がない公平な社会のあり方のように思えますが、人が勝者と敗者に分類され、両者の間に分断が生じます。

 

 

まず、能力を蓄積する機会を奪われた人たちがいます。代表的な例が、90年代に大量に増産されたフリーターです。不況によって、正社員になることができなかった人たちは、フリーターに転落しました。

仕事に必要な高度なスキルを身につけることはできませんし、低所得ゆえ、自己啓発にかけるお金も乏しいのです。

こうして、正社員になれた者と、たまたまなれなかった者の間で、圧倒的な能力の差異が生じてしまいました。  

しかも現在は産業構造がますます高度化し、単純労働は海外に移転しています。そのため、国内に残るのは、高スキル、専門知識の蓄積が必要な仕事ばかりです。

正社員になれず、自己啓発もできなかった者たちには、単純労働さえ奪われ、あまりにも熾烈な世の中が待っているわけです。

つまり、能力という一見して個人の資質と解釈できる力により、人の序列が決まる社会であり、勝者にはおごりを、敗者には屈辱をもたらしました。

kabuhudousan.hatenablog.com

エリートたちは「自分の力」を鼻にかけ、自分より下にある人々を見下し、自分たちが有利な社会を構築します。

今、日本をはじめとする先進国で問題になっている学歴偏重社会や格差社会能力主義の闇の産物ですし、「絶望死」は能力主義の末路です。  

 

 

そもそも、エリートたちが「自分の能力」と信じている力は、実際には出身家庭によるところが大きいのです。

日本のエリートたちは、高等教育を受けた人の比率が61・4%と際立って高く、貧困率も2・6%と「資本家階級」より低いのです。

この人たちは当たり前のように大学に進学し、当たり前のようにエリートになることができました。

しかし、それは恵まれた家庭環境に育ったからであって、特に彼らがもともと能力的に優れていたからではないわけです。  

また、『実力も運のうち 能力主義は正義か?』の著者マイケル・サンデルは、さまざまなデータを用いて、豊かに生まれた者は豊かになる確率が高く、貧しく生まれた者は貧しいまま死ぬ確率が高いという理不尽な現実を暴いています。  

具体的には、所得規模で下位5分の1に生まれた人のうち上位5分の1に達するのは20人に1人です。

ハーバード大学スタンフォード大学の学生の3分の2は、所得規模で上位5分の1に当たる家庭の出身です。

さらに、誰もが「個人の能力」と信じて疑わないスポーツの世界も同じだったのです。

大学にスカウトされて優先的に入学したスポーツ選手のうち、家庭の所得規模が下位4分の1に属する学生は、「たった5%」にすぎなかったそうです。

つまり、一見すると公平に見える能力主義は、決して公平ではなかったのです。

 

 

どんなに才能に恵まれて生まれても、それが生かされるか否かは家庭環境との相互作用で決まります。

若者の間で、どんな親、家庭環境に生まれるかは運任せであることを意味する「親ガチャ」という言葉が流行るのも、彼らが肌でその理不尽さを感じているからでしょう。  

とはいえ、良いことは自分の手柄に、悪いことは他人のせいにしたがるのが人間です。

「あの人って、すごいよね」と周囲の羨望を集める社会的地位につくと、知らず知らずのうちに傲慢になります。

どんなに「あなたもいつ落ちるか分からないよ」と警告されようとも、「自分だけは別」と聞く耳を持たなくなります。

とりわけ、厳しい競争にさらされ、頑張って頑張って、がむしゃらに頑張って勝ち上がった人ほど、自分の力を過信し、「自分だけは大丈夫」と思い込みがちです。  

しかし、平成の30年間で「自分の力を鼻にかけていた人=エリート」たちの道はどんどんと狭められてきました。  

中間層の没落が本格化している今、高度経済成長期のゲームはもう終わりました。

今後は学力だけで人の優劣を測ることをやめ、人間の幅広い能力や適性の価値を認めることで、報酬と評価の再分配を行い、頭脳労働と単純労働のバランスを取り戻すよう価値観を変えていくことです。

 

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