氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

「誹謗中傷大国ニッポン」ゆがんだ正義を振りかざす日本人

日本から「誹謗中傷」が消えることはないでしょう。誹謗中傷している人は自分が誹謗中傷をしているという自覚はありません。

むしろ、相手の間違いを指摘して言動を正してやっている、くらいにさえ思っています。  

「ゆがんだ正義心」が生まれる理由は日本人が100年以上受けてきた「教育」の弊害です。

日本人は物心ついた時から「ルールやマナーを守れ」「みんなに迷惑をかけるな」ということを骨の髄まで叩き込まれる。教育基本法や学校教育法の中に「規範意識の育成」ということが掲げられているからです。

もちろん、この方針自体は悪くないですが、問題は「規範意識」に熱が入りすぎて「過剰」になってしまっていることです。

本の学校教育は世界的に見るとかなり特殊で、異常に厳しいブラック校則、同じ制服、同じカバンの強制、軍隊的な部活動、そしてクラス内での「班」行動などなど、他国の子どもと比べて「規範意識の育成」を徹底的に叩き込まれる機会が多いのです。

この「規範意識=絶対正義」という極端な教育方針を改めない限り、「誹謗中傷」は絶対になくなりません。

今、日本は「誹謗中傷大国」と呼んでも差し支えないほど、社会に誹謗中傷があふれていおり、SNSで他人を心ない言葉で侮辱する行為というのは幅広い国や社会で確認されていますが、日本の場合はその「量」と「陰湿さ」が抜きん出ています。

まず、「量」に関しては、日本人はTwitterが世界一好きということが大きいです。  

22年1月の国別ユーザー数では、首位アメリカ(7690万人)に次いで日本は5895万人で世界第2位なのだが、ヘビーユーザーが圧倒的に多いのです。

イーロン・マスク氏が先日、日本のユーザーの利用時間が世界一だとして「1人当たりの使用量だと米国の約3倍です」と述べたように、朝から晩までTwitterに何かを発信している人が世界一多いのです。

「量」が世界一ならば当然、誹謗中傷も世界一多くなるでしょう。

「なぜそんなことが言える!愛犬や赤ちゃんの写真とか好きな推しについてつぶやいている人が多いだけかもしれないだろ」と反論したくなる人も多いでしょうが、その可能性は低い。日本は世界でも有数の「匿名SNS大国」でもあるからです。  

9年前のデータだが、平成26年度の情報通信白書によれば、日本のTwitterの匿名利用の割合は75.1%で、アメリカは35.7%、フランスは45%、韓国は31.5%となっている。日本人が匿名性を好む傾向は今もそれほど変わっていません。  

このような「匿名文化」が誹謗中傷の「陰湿さ」に拍車をかけているのは、もはや説明の必要がないでしょう。

「死ね」「消えろ」「顔を見るのも不快」「気持ち悪い」などという心ない言葉を家族や隣近所、会社の同僚や上司の前で平気で言える人は少ないのです。

しかし、自分の名前も素性も知らない人たちの前で、しかも見ず知らずの他人に対してならば、いくらでも罵詈雑言が吐けるという人はいます。  

社会的地位も脅かされない、人間関係も崩れもないという「安全地帯」にいるからこそ、心ゆくまで陰湿な誹謗中傷ができて、相手を自殺に追い込むほどの粘着さも発揮してしまう、という部分は確かに存在しているのです。

その醜悪な現実がうかがえるのが、「世界一の削除要求・開示請求」です。

Twitter社によれば、2021年上半期(1~6月)に削除要求は世界で4万3387件で、うち日本が1万8518件と4割強を占めて世界最多となりました。

さらに、政府機関以外から寄せられたアカウントの情報開示請求は全世界で460件で、うち日本が241件と5割強を占めています。

もちろん、「削除要求・開示請求=誹謗中傷」ではなく、誹謗中傷が問題になってからというもの、メディアや弁護士など専門家が対策のひとつとして削除要求や開示請求について言及をしていることを踏まえると、この突出した件数に、日本特有の誹謗中傷カルチャーが大きく影響していると考えるべきではないでしょうか。

では、なぜこんなことになってしまったのかというと、冒頭で申し上げた「規範意識の育成」をやりすぎってしまった「副作用」です。

この教育方針自体は素晴らしく社会で生きていくうえでルールやマナーを守るのは当然です。

しかし、日本のようにこの教育があまりに過剰になって、国民の規範意識が高くなりすぎると、社会に「対立と分断」を招いてしまいます。  

「ルールやマナーを守らない人」「みんなに迷惑をかける人」への激しい怒りや憎悪が芽生えてしまうのです。

わかりやすいケースが戦時中の「非国民」へのすさまじい誹謗中傷とリンチです。  

この手の話になると、「当時の日本人は軍部が怖くてしかたなく戦時体制に従った」みたいな歴史観を語る人がいるが、それは新聞メディアが自分たちの責任を回避するために、戦後にねつ造したストーリーです。

メディアだけではなく大多数の国民は自分の意志で率先して戦争に賛成していました。

真珠湾攻撃をした際は、サッカーW杯で優勝したように国民はお祭り騒ぎだったのです。

もちろん、反戦を訴える人もいたが、かなりマイノリティで、日米開戦を回避しようとした軍人や役人は国民から「弱腰」となじられ、家族が襲撃される恐れもあったほどです。

では、なぜこんなに当時の日本人は戦争に協力的だったのかというと、軍にマインドコントロールをされていたから…なんて大層な話ではなく、ごくシンプルに「教育」の成果です。

近代化した日本の教育のベースとなった「教育勅語」でも、実は「規範意識の育成」は大きな柱となっている。と言っても、時代背景が違うので当時はこれを「遵法」と呼んだ。「法律や規則を守り社会の秩序に従おう」という意味です。  

戦前・戦中の子どもは「教育勅語」を暗唱させられて、この「遵法」を骨の髄まで叩き込まれました。

すると、どういう大人に成長するのかというと、国が定めた法律やルールを守ることが「正義」であり、それができない者は「非国民」として怒りや憎悪を抱く人になってしまいます。

規範意識」が膨張して、「社会秩序を乱す悪」を制裁するための誹謗中傷や暴力は許される、という感じで、「正義の暴走」が始まるのです。

例えば、満州事変直後の1931年9月20日、東京・麻布で2人の男が「若し戦時召集があっても応ずるな」とビラを巻いて演説をしました。

戦後の映画やテレビではこういう「非国民」を処罰するのは、警察や憲兵として描かれていますが、現実は違います。

「付近の住民は時節柄とて憤慨し二三十名が棍棒や薪を持って『非国民を殴り殺せ』と追跡したが何れへか逃走した」(読売新聞1931年9月21日)  

そういう「正義の私的制裁」が日本中であふれかえったのです。規範意識が強くなりすぎた “正義の日本人”は、「ルールに従わない人」「みんなに迷惑をかける人」に対しては、これほど冷酷・残酷になれるものなのです。  

このような「非国民へのリンチ」を生んだ「遵法教育」は戦後GHQの監督下になると「規範意識の育成」という呼び方に変えられて、教育基本法や学校教育法に盛り込まれて現在に至ります。

見た目は“化粧”されているが、本質的なところでは同じ教育が続いているので当然、「非国民へのリンチ」も健在です。

しかし、さすがに今はこん棒で殴り殺すというわけにはいかず、「武器」をSNSに変えて、「死ね」「消えろ」というナイフのように鋭い言葉で相手の「心」をメッタ刺しするようになったのでしょう。

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