氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

「老後のお金」に関する誤解と正しい考え方

「老後不安」という言葉が喧伝され「お金を増やすこと」がクローズアップされています。しかし他方で、日本人は「死ぬ時に一番お金を持っている」ともいわれます。

イソップ寓話にアリとキリギリスの話が出てくるのはご存じでしょう。夏に一生懸命働いて食べ物を蓄えた働き者のアリに対して、遊んでばかりいたキリギリス。

やがて冬がやってきて食べるものがなくなったキリギリスは、アリに食べ物を乞いにいきます。 働いているアリを散々ばかにしていたキリギリスですが、食べ物をアリに分けてもらったことを感謝し、それからは心を入れ替えて働く、というお話です。

じつは、最後にアリが食べ物をキリギリスに与えてあげたというのは、教訓を作るためにあとから改変されたもので、元のストーリーではキリギリスは食べ物をもらえず、飢え死にしてしまうという内容なのだそうです。

 

 

でも多くの日本人はこの寓話について、「やはり人間は勤勉に働くべきだ」と解釈していると思います。

最近、アメリカで出版されてベストセラーになった、ビル・パーキンスという人が書いた『DIE WITH ZERO』という本があります。

その本のまえがきに、このアリとキリギリスの寓話が出てきます。 その部分を引用すると、「この寓話の教訓は、人生には、働くべきときと遊ぶべきときがある、というものだ。もっともな話だ。だが、ここで疑問は生じないだろうか? アリはいつ遊ぶことができるのだろう? それが、この本のテーマだ」 さらに著者の言葉は続きます。

「私たちは、キリギリスの末路を知っている。そう、飢え死にだ。しかし、アリはどうなったのか? 短い人生を奴隷のように働いて過ごし、そのまま死んでいくのだろうか? いつ、楽しいときを過ごすのか?」

そして「アリの末路は?」と考えてみると、「アリは助けを求めて来たキリギリスを冷たく突き放しました。

『そんなものは自己責任だ』とつぶやき、世間から“冷たい奴だ”と言われようが気にしませんでした。

そしてお金(食べ物)に囲まれ、友もないまま、1人寂しく死んでいきました」 たぶん、これがアリの末路なのではないかという気がします。

『DIE WITH ZERO』というタイトルが意味するのは、「ゼロで死ね」、つまり「死ぬ時までにお金はすべて使い切ってしまおう」ということです。

ところが、実際には多くの人は「死ぬ時に最もたくさんお金を持っている」ようです。

日銀金融広報中央委員会が調査した「家計の金融行動に関する世論調査」(2021年)にある数字ですが、年代別に金融資産の保有額を中央値で見てみると、60代が1,400万円、70代が1,500万円と、他の年代に比べて突出しています。

 

 

これを平均値で見てみると、さらに増え、60代では3,000万円にもなります。

これを見る限り、「死ぬ時に最もたくさんお金を持っている」というのはどうやら正しいようです。

このお金を、生きて元気なうちに使っていれば、どんなに幸せだったろうかということを考えるべきだ、とこの本は主張しています。

やりたいことを我慢して、ひたすらお金を貯めることが果たして幸せなのでしょうか。

「黙々と働いて、預金通帳に数字が増えていくことを眺めるのが無上の喜び」という人もいるでしょうが、それはやはりどこか心の構造が歪んでいるのではないかという気がしてなりません。

やはり、「老後不安」というナラティブに踊らされている ではなぜ、多くの人がやりたいことを犠牲にしてまで、お金を貯め、増やし続けるのでしょうか。

それはやはり、「老後不安」というナラティブがあるからです。人間の行動を強く促す要因には「欲」と「恐怖」がありますが、中でも「恐怖」の力は大きいといえます。 そもそも、老後というのは将来のことです。

将来のことは誰もわかりませんから、不安が生じるのは当たり前です。 しかも最近ではメディアが「老後貧乏」だとか「老後破綻」などという言葉を使って、さらに不安を煽りますから、次第に不安が恐怖に変わっていきます。

その上、「老後不安」というナラティブは、金融機関の営業にとっても非常に都合のよい話ですから、これを武器にして金融商品の購入を一生懸命勧めてきます。

結果として、どこまでいっても果てのない不安から、お金を増やすことに意欲を燃やし続け、最終的には「死ぬ時に一番たくさんお金を持っている」という状態になるのでしょう。

過剰な老後不安を持つ必要はないと思います。日本においては、自営業の人であれば公的年金だけで生活していくのは難しいですが、普通のサラリーマンであれば、そんなに心配する必要はありません。

厚生労働省のモデル年金額では、妻がずっと無職であったサラリーマン家庭の場合の年金支給額は、月額で約22万円です。

毎年海外旅行に行くとか、頻繁に豪華な外食をするということでなければ、日常生活はこの金額でも可能です。

もちろん、自分が何歳まで生きるかは誰もわかりませんから、「死ぬ時にゼロにしろ」といってもそんなにうまくはいきません。

ただ、仮に90歳までに持っているお金を全部使ってしまったとしても、公的年金は死ぬまで支給されます。

年を取るほどお金は使わなくなりますから、同じ年金額で支給されるのであれば、たとえ何歳まで長生きしようと生活に困ることはないでしょう。

もちろん、不測の事態に備えるために、ある程度の現金を持っておくべきだという考え方もありますし、それは間違いではありません。

 

 

でも、どんな事態になるとどれぐらいのお金が必要かは、事前にある程度読めます。 それに、自分のお金でまかなえないような事態に備えるには保険を使えばよいですから、必要以上に過剰なお金を蓄えたり増やしたりしておく必要はないと思います。

むしろ、人生後半に向けて考えるべきことは、「お金を増やす」ことではなく、「お金をどう使うか」ということでしょう。

人間は「死」を意識した時に、人生で本当に大切なものは何だったのかということに気が付くのだそうです。

緩和ケアの介護を長年勤めて多くの人を看取ったブロニー・ウェアという人が、自分の体験に基づいて書いた『死ぬ瞬間の5つの後悔』という本があります。

この本には、死を前にした時、人は何を思い、人生において何を後悔するのかが書かれているのですが、その多くは、「自分のやりたいことをもっとしておけばよかった」「もっと人とのつながりを大切にしておけばよかった」ということです。

人生の終盤が近づくにつれて、人生で最後に残る大切なものは何だろう、と考えるようになり、一番大切なのは「思い出」ではないでしょうか。

人生の充実度を高めるのは、その時々の体験であり、それにまつわる思い出ではないのか、とすれば、もっと「思い出」を得るためにお金を使うべきなのではないでしょうか。

自分のやりたいことにお金を使う、人とのつながりのためにもっとお金を使う、そうしたことの方が、お金を増やすことよりもはるかに大切なことだと思います。

まだ「死」を考えるには早すぎる、あるいはそんなことを考えるのは縁起でもないという人もいるでしょうが、人がいつ死ぬかは本当に誰にもわかりませんし、いずれその時は必ずやってくるのです。

であるなら、ここからの人生を、「死」から逆算して考えてみてもいいのではないでしょうか。

これまで、ただお金を増やすことに一生懸命だった人生かもしれませんが、ここからはどうお金を使うことで人生を幸せにできるかを考えていくべきでしょう。

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