ネット上の書き込みは、「世間の声」として紹介されることがありますが、「ネット世論」には、深刻な偏りが見られるといわれています。
ネットの書き込みって、あたかも“世の中の声”であるかのように見えてしまい、多くの人を不安にさせています。誰が書き込んだかもわからないようなものが、本物の世論のように見えてしまうのはなぜなんでしょうか。
例えばネット炎上で、Twitter上でネガティブな発信をしているのはユーザー全体の0.00025%に過ぎないことがわかっています。
これはおおよそ40万人に一人ですから、すごく少ないです。ネット炎上をサンプリングして分析したなかには、15人くらいしかネガティブなことを書いてないようなケースもありました。
しかも同じユーザーが何回も書いてるわけです。あるサイエンス・ライターの方が誹謗中傷を受けて裁判を起こしたら、被告の男性というのはTwitter上に200以上のアカウントを作って攻撃していた。こういうことがざらに起こっています。
アカウントを200持っている人は珍しいですが、一人が同じようなネガティブな発言を100回書くなんてことはごくふつうにあります。
そうすると、ごく少数の意見があたかも世論であるかのように見えてしまう。
人は、基本的には自分の見える世界でしか物事を判断できません。
例えば、あることについて300人くらいの人が騒いでいても他の人たちはそれに興味がない、あるいは支持しているけどそれをあえて発信することはしない。
反対意見を言ったら自分が攻撃されるかもしれないと思う人もいます。表現の萎縮です。そういうサイレント・マジョリティ、声をあげないマジョリティの人たちがいるわけです。
しかし、ネット言論空間のなかでは、ノイジー・マイノリティの人たちだけが可視化されているので、あたかもその人たちがマジョリティであるかのように見えてしまいます。
これがまさに「人類総メディア時代」の肝となる部分です。
SNSというのは、人類が初めて経験する能動的な発信しかない言論空間なんです。世論調査は訊かれたから答えるという受動的な発信だから、社会の意見分布に近いのです。
あるいは、会話には言葉のキャッチボールがあるので、能動的な発信と受動的な発信の両方が含まれます。
これに対して、ネットは基本的には自分が言いたいから言うだけの空間であって、そこにはモデレーターもなく、発信をストップさせるような人もいません。
だから、極端な意見や攻撃的な意見を発信することがすごく簡単にできます。
極端な意見を持っている人のほうがネット上で大量に発信していることがわかっています。
「おおかたの意見」を知るためにネットを見ても、実は「極端な人」しか見えていないのです。
この傾向は、例えば憲法改正というテーマについて分析すると顕著に表れます。
「改正に大いに賛成である」から「改正には絶対に反対である」までの七段階で社会の意見分布を調査すると、山型の分布で中庸的な意見の人が最も多いです。
ところが、これをSNSの投稿回数で分析すると、最も多く発信されているのが「大いに賛成である」人の意見です。
そして次に多く発信されているのが、「絶対に反対である」人の意見です。この人たちはそれぞれ社会全体の7%を占めているに過ぎないのですが、SNS上の発信量では合計46%、つまり約半分を占めていました。
この人たちは極端な意見を持っているので議論にはならず、互いを攻撃することに終始する。これこそがネットで起こっている現象です。
そういう構造のなかで切り取られた世界だけを見ているのです。問題は、マスメディアもそのことをあまり理解できていないということです。
まずは、自分の見ている世界が切り取られた偏ったものであるということを理解する必要があります。
わかりやすい事例で言うと、前回の東京都知事選では小池さんが圧勝したわけですが、Twitterを分析すると二つのクラスターが出てきたのです。
一番大きいクラスターは、小池さんを批判するもの、データ上は90%くらいを占めています。もう一つは10%のクラスターで、桜井誠さんという保守的な候補を推す人たちです。
Twitter上には小池さんを応援するクラスターは一つもなかったのですが、選挙結果はトリプルスコアくらいでの勝利でした。
ネット上の意見は世論とは別物だということがよくわかります。ネットの意見を参考にするのは別にいい、そこからわかることもたくさんあります。
しかし、重要なのは「ネット世論」は世論ではないという事実を押さえておくことで、それを知っているか知らないかということだけでも全然違うと思います。
ネットは、両極端の人が罵倒し合う場所、きわめて偏った意見がマジョリティの意見であるかのように見えてしまう場所です。
SNSを建設的で、サイレント・マジョリティの意見が可視化されるような場所に変えることは様々な方法が考えられます。
それこそモデレーターをつけるとか、アルゴリズムを用いて両論併記にするとか、プラットフォーム事業者は今そういう技術について関心を持っているはずです。
例えばNewsPicksは、まさにそれを考えていたわけですね、実態として今そうなってるかは別の話として。他にも、スマートニュースはフィルターバブルの問題を解決する試みをおこなっています。
フィルターバブルの問題とは、自分の見たいものばかり見てしまって、意見が極端になったり、視野が狭くなったりすることです。
だからあえてノイズを入れるような工夫を施すなど、いろいろな事業者が状況の改善を考えています。
Yahooニュースコメント欄も、アルゴリズムを使って建設的な議論モデルに近づいています。論理的なコメントが上のほうに表示されるようになってきているのです。
それでもネット上の言論はまだ偏っています。Yahoo! の例でいうと、問題は二つあって、一つは、誹謗中傷的なものがまだかなり残っているということ。もう一つが、論理的な文章か否かでコメントが表示される順序が決まるということです。
反ワクチン的な考えを持った人が、論理的な文章で大量に書けば、そのようなコメントばかりが上に来ます。
実際そういった現象が起きているのですが、それでは議論にならないですよね。反ワクチン派とワクチン賛成派の両方が上にくるならいいんです。
まずは両論併記になることが重要です。実際Amazonレビューなどは両論併記になっています。なぜそれができるかというと、点数をつけているからです。
つまり1点のレビューと5点のレビューをバランスよく抽出できる。それに対して、ニュースのコメント欄に点数評価という項目はないので、それに代わる方法を開発しようとしている現状なのでしょう。
例えば、何かについて一人1回しか発信できないようにするといった制限を設ければ、状況は少し変わってくると思います。
そういうふうに、プラットフォーム事業者がアーキテクチャ上で工夫を凝らすことで、ネットの言説空間が変わっていく可能性があります。
両論併記は、なんでもありの混沌状態よりはいいと思いますが、たとえば人権に関するイシューでは、両論併記することによって人権を否定するような差別的意見にある一定のお墨付きを与えてしまうリスクもあります。
全ての議論が単なる両論併記でいいのか、という疑問は残ります。
また、両論併記で表示された意見の中にいわゆるデマレベルの科学的に誤った情報や、明らかな事実誤認が含まれている場合、それを放置してもいいのかという点も疑問です。
やはり「建設的な議論の場になっているか、差別の助長や誤った情報の拡散がなされていないか」と責任を持って監修するのは人間の役割ではないかと思います。