お金持ちになった人のプロフィールを見ると学歴は様々です。
外資系の投資銀行で高額年俸を稼ぐような人の場合、そもそも会社が高学歴者しか受け入れていませんから、必然的に学歴は高くなります。
しかしビジネスで成功した人や不動産投資などで成功した人の経歴はバラバラといってよいでしょう。
こうした状況を見ると、お金持ちになるために、必ずしも高い学歴は必要なさそうです。
では、どんな人でもお金持ちになれるのかというと、お金持ちの人は、学歴の有無にかかわらず、総じて頭がよいという特徴が見られます。
頭がよいというのは、筋道立てて話すことができたり、相手の状況をよく理解できたり、物事への好奇心が旺盛だったりといった意味です。
また、仕事と学歴の関係についてはいろいろな研究が行われており、学術的にはある程度の結論が得られています。
仕事ができるできないと、学歴には緩い相関しかありません。つまり仕事ができる人を100人集めてくると、学歴が高い人が比較的多く含まれるものの、皆がそうではないということです。
できる人が多いということになりますが、学歴が高ければ仕事ができるのかというとそういうわけでもありません。
この結論は、企業社会での一般常識にかなり近いのではないでしょうか。
企業に勤めている人は、社内で誰がどのような評価をされているのかあらためてチェックしてみてください。
高学歴で仕事ができる人はそれなりに多いと思いますが、一方で「あの人は一流大学出てるんだけどね」と言われる人も一定数存在しているはずです。
お金持ちになれるかどうかは、個人としての経済活動が上手か下手かということに左右されますから、仕事のできる、できないにも密接に関係するはずです。
仕事が上手にできる人は、お金持ちになりやすいと考えてよく、この部分こそが、まさにお金に関する教養ということになるわけです。
では、こうしたお金に関する教養は才能に依存するものなのか、それとも努力で勝ち取ることができるものなのかということです。
世の中では少々タブーとされているのですが、学業成績というのは、ある程度、遺伝することが明らかになっています。
勉強ができる人の子供は勉強ができるケースが多いということです。
一方、開拓性や外向性、勤勉性など、いわゆる仕事ができるようになるための能力、言い換えればお金を稼ぐことができる能力は、遺伝的要素が少なく、本人の努力で勝ち取れる部分が大きいことも分かっています。
これは多くの人にとって朗報で、勉強ができることだけを頼りにキャリアを開拓しようとすると、生まれ持った適性という壁が邪魔をしてしまいます。
しかし、お金持ちになるためのスキルや能力は、自身の努力でいくらでも開拓することができるわけです。勉強することは大事ですが、お金に関する教養を磨くことはもっと大事です。
お金に関する教養は、学校の勉強のように暗記で覚えるというものではないので、一朝一夕には身に着きません。
毎日の生活の中でコツコツと努力を積み重ねていくしか方法はないのです。逆にいえば、こうした努力を愚直に続けられる人こそが、経済的な豊かさを享受できるのです。
エリート街道を突き進んできた成功者のほうが少ないといえるでしょう。その意味では本来、人は一般的な成功パターンに乗っている必要などないのです。
挫折しても、軽んじられても、周囲のシグナルを無視し、強固な意志で努力を重ねられた人は大成することができます。
しかし、世の中がそうなっていないのは、私たちが「平均」や「出身大学」といったわかりやすい指標を重視してしまうからです。
名門大学が学生を選ぶときも、企業が新たな人材を探すときも、「望ましいパターン」にはまっている人を探しているにすぎません。
このシステムに従って生きていると、一流大学に通うことがすべてだと教わってきた子どもが受験に失敗した場合、子どもは歯を食いしばり、自分はまた羽ばたけると思うでしょうか?
答えはNOです。
ほとんどの子どもたちは、「競争に負けた」という思いで頭がいっぱいになってしまうでしょう。
既存の社会システムへの依存が強いほど、挫折感は深まります。
そうして数多くの才能が潰れていったケースを誰しも目にしたことがあるのではないでしょうか。
そのような障害となる「ノイズ」をまずは取り払う必要があるのです。
また、近年では「高学歴パラドクス」という説も、広く流布されるようになってきています。
これは、子供の頃から勉学に励んで学歴競争に打ち勝ち、優秀な名門大学に入り、卒業後には一流大企業に就職して、出世のためのラットレースに励む人生のことを指しています。
こういう高学歴エリートの人は、朝から晩までの社畜生活を送り、ようやく定年退職で会社から解放されるまで「働きバチ」の生活のままでしょう。
すると、大した資産も築けないうちに、老後生活に突入するというケースになるのです。社畜で終わる人生です。
これが残酷な「高学歴パラドクス」の現実というわけです。「FIRE」という早期リタイアを目指す背景には、こうした現実をシビアに考えている人が少なくないからということもあるのでしょう。
誰だって一生涯を社畜人生で送るのは嫌だからです。
ロバート・キヨサキ氏の『金持ち父さん・貧乏父さん』における「貧乏父さん」の生涯こそが、まさしく高学歴パラドクスの典型です。
一代で富裕層になった人たちは、意外にも学歴に関係ない人生を送った人が多いことも、こうした逆説を裏打ちしています。
さて、昨今はサラリーマンでも、労働収入に頼るだけでは、人生そのものが危ういという人が、増えてきています。
所詮、自分の労働力を売るだけでは、お金持ちになれないからです。
どうしたら、自分の人生に裕福な生活をもたらせるのかを自ら考え、今こそ、お金持ちの発想を身につけないといけないわけです。