氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

老人ホームは現代の姥捨て山

自分のこと以上に親を思い、必死に、そして真剣に、「親にふさわしい住処」について考え、時間と手間暇をかけて老人ホームを探している子どももいます。しかし残念ながら少数派というか、極めて少ないです。

介護が必要になるなど、子どもが自分では手に負えなくなった親を“厄介払い”する施設になっているのが老人ホームの現実なのです。

老人ホームは姥(うば)捨て山とほとんど変わりがないことになってしまうからです。

老人ホームを選んでいるのは子どもであり、入居者当人である親は選べていません。これが今の老人ホーム選びの根本的な問題なのです。  

したがって、これから老人ホームへの入居を考えている70歳代、80歳代の「親世代」とともに、その「子ども世代」も考えるべきです。

「親御さんがどうなったとしても、私どもが最後まで面倒を見ます。途中で放り出したりしません。ですからお任せください。うちに決めてください」  

老人ホーム側からこう言われた家族は、間違いなく安心して、「よろしくお願いします」と頭を下げます。  

 

 

しかしこのフレーズには、大きな問題があるといえます。  

親が自宅に帰ってくることがあっては困るからです。認知症等になり、介護を要する状態となった親を、これ以上、自分でケアすることはできません。

したがって、「最後まで面倒を見ます」と言われると、本音では「助かった」と思うのです。

親の世話をすることや介護から解放されたいという気持ちは理解できますが、姥捨て山と大差ありません。

一方、老人ホーム側にも問題があります。

「最後まで面倒を見ます」一見、誠意の言葉のように思えますが、ホーム側は「入居者がいなければ介護保険報酬(介護報酬)を受け取れないので、何としてでも最後までいてもらう」ということです。

子どもと老人ホーム、両者の本音に決定的に欠けているのは、入居者本人がいかに快適に過ごせるかという観点です。

2000年以前は、一般的に老人ホームといえば、一部の超富裕層が自ら望んで入る施設を意味していました。  

財閥系の大手有名企業などが社会貢献の一環で経営していた超高級老人ホームで、コンシェルジュがいて、温泉に浸かれて、入居者は一流企業の役員ばかりでした。

そこから運転手付きのハイヤーで仕事に通うといったような、言ってしまえばお金持ちの別荘のようなイメージです。

子供に「入居させられる」という事態はまず考えられませんでした。  

その他には、特別養護老人ホーム(特養)がありましたが、これこそ「手に負えなくなった人」を入れる施設であり、例えるならば重度のアルコール依存症患者を隔離する精神科病院に近い扱いで、実際の入居にあたっては自治体の首長による措置、つまり行政処分が必要でした。

しかし2000年に介護保険制度がスタートし、施設が入居者を介護すれば、介護を必要とする度合いに応じて介護保険報酬が得られるようになったのです。

 

 

結果、それまでの老人ホームの主流であった超富裕層を相手にしなくても、介護保険報酬で老人ホームの経営が成り立つようになり、富裕層ではない「普通の人」が施設側のターゲットになっていったのです。  

元気なうちに自分で老人ホームを選び、自ら入ろうとする親もいるにはいます。しかし、それを認めようとしない子どもが実は多いものです。

そこには「経済的下心」が隠れていることが少なくありません。  

一部の富裕層は別として、中流以下の家庭では、「入会金」とでも呼ぶべき入居一時金が数千万円かかることも珍しくない老人ホームに親が早く入ることを、子どもたちは良しとしません。

自分たちの遺産相続分が減ってしまうという感覚を持つからです。老人ホームへの入居を検討する親を持つのは、子どもといっても50代であることがザラです。

彼らは役職定年や早期退職が迫り、同時にまだ自らの子どもが中高生であることも多く、親の老後を心配している余裕はなく、自分の老後の不安のほうが大きかったりします。

その状況で親が数千万円も使うことに忌避感を覚え、親の老人ホームへの「早期自主入居」を許そうとしないのです。  

子どもが選んだ老人ホームに親を入居させる場合も、同様の金銭的事情から「高いホーム」ではなく、できるだけ「安いホーム」を子どもたちは選ぼうとする傾向があります。

老人ホームでは、運営費の50%以上を介護看護職員の人件費が占める施設が多いので、「安かろう、悪かろう」が老人ホーム業界の常識なのです。

しかし、この点で子どもを責めることはできないでしょう。自分の老後と子育てに不安が残るなか、親に金をかけている場合ではないというのは、超高齢社会に突入している日本の現実です。

 

 

これは「子どもたちの問題」ではなく、明らかに「社会政策の問題」です。  

老親を子どもの「所有物」であるかのように勘違いするため、老人ホームを選ぶのは当然子どもであるべきだと思い込みます。

将来、自分自身が老親となった時に子どもに「所有」されたとしたらどんな思いを持つのかということには、なかなか想像が及ばないようです。

そして認知症の症状が出始めるなどして、もうこれ以上、親の面倒を見るのは無理となった段階で、焦り、切羽詰まって、追い込まれた形で子どもたちが老人ホームにすがるのです。

入居者(=親)と老人ホームのミスマッチ、つまり親が望んでいるサービスと、施設が提供するサービスに齟齬が生じても、実は子どもはさほど気にしません。

老人ホームに入るのは子どもではないので、親が多少不満を言っても、「それくらいのことは我慢して」となります。

老人ホーム=姥捨て山、それは一度その老人ホームに入居したら、死ぬまでそこに居続けさせる「入居老人ホーム=終の棲家」という発想です。

入居した老人ホームが入居者に合っていなければ、合っているところに転居することも考慮すべきです。あるいは、施設に入った親を、状況によっては再び自宅に呼び戻してもいいはずです。

入居時点で、数千万円もの入居一時金をとられることもありますが、最近は入居一時金そのものをとらない老人ホームが増えています。  

経済的にごく一般的な家庭の場合、高額な入居一時金を払ってしまうと、他のホームに移ることは現実的に不可能になってしまいます。

ですから最初の入居時点で、入居一時金がない老人ホームを選ぶことが大切になってきます。

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