氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

スタグフレーションで他人に冷たい社会になり、皆貧しくなる

近頃は食品からエネルギーまで、身近な生活必需品の供給が不安定になり、値上げばかりが続いています。

インフレが起こっても、賃金が上昇すればよいですが、そうなってはいません。所得は増えずに物価だけが上昇する「スタグフレーション」がいよいよ現実味を帯びてきています。

多くの人の賃金が増えないまま物価だけが上昇していけば、それは単純に生活がどんどん貧しくなっていくことです。

実質的な価値がどんどん目減りしていく自分のお金を、必死に防衛するような、閉塞的で息の詰まる時代です。  

すでに働く人のなかには、食費を切り詰めるために昼食を抜く人さえ現れ始めています。飯を食べて生活するために働いているのに、働いても飯を抜かなければ生活できないというのは本末転倒の極みです。

 

 

このような時代には、人は否応なく「自衛」を求められ、社会全体が「余裕」をなくしていきます。

自分がこんなに切り詰めて必死に生きているのに、そうしないで楽をしている人間がいるのはフェアではないと考えるようになります。  

大衆社会のマインドの変化を政治の世界も敏感に察知し「みんなが大変な思いをしている時代に、無駄金を浪費しているようなセクションを倒そう」と訴える緊縮的なポピュリズムが台頭していきます。

社会的な価値観や規範意識が全体的に「自己責任」の方向に先鋭化していくことにもなります。生活が立ちいかなくなったり、あるいは落伍してしまったりした人に対する世間からのまなざしは厳しくなります。 

「厳しい時代なのだから自衛をするべき」が社会的合意になった世界で失敗すると、再チャレンジの余地が与えられるのではなくて「自衛をしなかったからそうなったあなたが悪い」と突き放されます。

今の社会は、余裕がある時には他者にやさしいですが、他者へのやさしさが本当に必要とされる厳しい時代には手の平を返します。

 

 

スタグフレーションから身を守るためのたった一つの方法は、貧乏になることは避けられないので、お金と幸せについての考え方を変えることです。

今の生活や収入にこだわる考えを変えて、もっと小さな幸せについて向き合い、お金のかかることを諦めるしかありません。

スタグフレーションは国際的な外部要因と政治的リスクが合わさって起こります。市民一人ひとりができるミクロな努力は、せいぜいお金に対する考え方を変えてやり過ごすこと、とりわけ「お金があるから幸せである」という考え方から一定の距離を取ることでしょう。  

人間は「これから得られるはずのものが得られなくなる」ことよりも「すでに得ていたものが失われていく」ことの方が耐え難い苦痛を感じます。

これは行動経済学の基礎になるプロスペクト理論です。

kabuhudousan.hatenablog.com

衣食住の上質さにこだわっていた人は、そのこだわりを棄てなければならないのは、体の一部が欠落したかのような喪失感があります。  

自分の大切ななにかが欠落していくような痛みは、知らず知らずのうちに心をささくれ立たせ、世の中が全体的にギスギスしていくようになります。

自分が欠損しているのに、なんの欠落もなく「のほほん」と生きている人間をみると、それだけで暗い感情が湧き上がってくるわけです。

誰もが自分の倫理性や社会適応度にこだわりながら、倫理的でない者や不当な金儲けをしている者に対する激しい嫌悪感や懲罰意識を持ち、実社会でもネットでも「炎上」が続発していることは、おそらく偶然ではないでしょう。 

 

 

暗い未来ばかりを予感させる「スタグフレーション」の時代は、しかし他方で大きな社会変革の可能性を持っている側面もあります。

スタグフレーション」はすなわち「成長を失う社会」が出現するものでもあるため、旧来的な価値観のまま能力主義的な序列化構造と自己責任論をいくら擁護しても、かつてほど「勝利者としてのうまみ」が得られなくなっていきます。

能力主義が人びとにこれまでのようなメリットを提供できなくなれば、だれもが別の形で幸福を模索することを余儀なくされるでしょう。  

本当の意味で「多様な生き方」が問われるのはこれからかもしれません。  

これまでの時代に見出されてきた「多様性」「新しい生き方」はいずれも最終的には経済的優位性・経済的合理性をどうしても意識しなければなりませんでした。

しかし「スタグフレーション」により、能力主義的な序列化と経済優位性をベースとしていない、本当の意味で多様な幸福を見つけ出す営みを、否応なしに要求されていく時代になります。

殺伐とした自衛の時代の果てに、カネだけをひたすらに防衛することに人生を費やしてきたことへのむなしさがやってくるでしょう。  

いったい何のために生きるのか?カネを稼ぎ、それを守るために生きるのか?   

その問いから逃げられなくなります。本当の「幸福」を見出せるとしたら、そのときかもしれません。

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