SNSでは誰もが自由に発言できますが、SNS上での発言に起因するいざこざも少なくありません。
なかには自分の意に反して批判が集まり、炎上につながることもあります。
そうした炎上に加担しているのは、正義を振りかざす「極端な人」であることが多いといいます。
わたしたちは、そうした「極端な人」からどのように身を守ればよいのでしょうか。
SNSには正義を振りかざす「極端な人」がいます。
だがそれは、社会の落ちこぼれでもなければ、カルトのような異常な信念をもっているわけでもありません。
炎上に加担するのは「男性」「世帯年収が高い」「主任・係長クラス以上」という属性の持ち主だといいます。
仕事が忙しくても、同居する家族がいても、2時間もあれば数百件は書き込めてしまうから、「暇人」である必要はないのです。
まだ少し信じられない人もいるかもしれないが、自分の周りの人を想像してみて欲しいのです。あなたの周りに、いつも攻撃的で部下を否定してばかりいる、そんな上司はいないでしょうか。
おそらく、この問いについては「いるいる」と答える人が多いでしょう。まさに、そういった人が「極端な人」であり、ネットでもまた暴れているというわけです。
「極端な人」は、会社でそれなりの役職にあっても、自分は正当に評価されていないと不満をつのらせているかもしれません。
そのルサンチマンは現実社会では一定程度抑制されているが、SNSではブレーキが外れてチャッターをすべてぶちまけてしまうのです。
あなたがネットで出会うのは、こういう相手なのです。
だとしたら、「なにをしても無駄」というのはすぐにわかるはずです。
リアルな世界では、「不愉快な奴だ」と思っても、積極的にかかわって相手の性格や考え方を変えようとは思わないでしょう。
だとしたら、それが文章だけで(それもたった140文字で)できるわけがありません。
自分の身を守る方法は、リアルでもバーチャル(ネット)でも同じです。
もっとも重要なのは、こういう「極端な人」に絡まれないことです。そのための最低限の原則は、「個人を批判しない」です。
なぜならこのひとたちは、自分が批判されたと思うと、常軌を逸して攻撃的になるからです。
自分が「被害者」で、なおかつ「正義」だと信じている相手に対しては、ほぼ打つ手はありません。
それでもあなたの発言に不愉快なコメントをする者はいるでしょう。
そのときは、ただ無視するか、ブロックすることです。
「批判されたら反論しなければならない」と思っているひともいるようですが、これは最悪の対応です。
「極端な人」は、自分に対するどのような反論も、善と悪との戦いにしてしまうのです。
あなたは「悪」のレッテルを貼られ、泥沼に引きずり込まれることになります。
もうひとつ重要なのは、自分がリベラル(フェアネス)の立場で発言していることをつねに明確にしておくことです。
「(私は)どっちかと言うと差別のない人間なので」などといいながら、「同性のカップルが隣に住んでいるのはちょっと嫌だ」と発言した首相秘書官がいたが、これでは更迭(キャンセル)されて当たり前です。
リベラリズムの原則を共有することは、リベラルな社会で生きていくために絶対に必要なリテラシーなのです。
「そんなに面倒ならSNSなどやらなければいい」と思うひともいるでしょうし、これも一理ありますが、SNS時代には個人の価値がフォロワー数で決まるようになります。
そうなると、エビデンスを呈示できる専門分野では積極的に発言してフォロワーを集め、それ以外の領域では炎上リスクのない投稿(ネコの写真など)にとどめるのがいいかもしれません。
「そんなことでは社会はよくならない」と批判されるかもしれませんが、大半のひとにとって、人生で重要なのは、自分や家族がよりゆたかに、より幸福に暮らせるようになることで、社会正義の実現ではないでしょう。
キャンセルの標的にされたときの甚大な(取り返しのつかない)損失を考えれば、これがほとんどのひとにとってもっとも合理的な選択になるのではないでしょうか。