氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

忙しいふりをする人ばかりが職場に居座っている

社員の口から、「成長したい」とか「早く一人前になりたい」という言葉は聞かれても、「チャレンジしたい」「挑戦したい」という言葉はほとんど聞こえてきません。

なお、付け加えるなら「成長したい」という声も多少建前論的なところがあり、「なぜ成長したいか?」「ほんとうに成長したいのか?」と聞き返すと、たいていが口ごもってしまいます。

社員の挑戦意欲が低い理由は後で述べるとして、ここで問題にしたいのは会社側と一般社員の意識に大きなギャップが生じる理由です。

なぜ会社側は、社員の挑戦意欲の低さに気づけないのかについて、日本企業特有の組織風土が隠れています。

 

 

日本人は職場で本音をなかなか口にしませんし、態度にも出さないので、いや、懸命に隠そうとするからです。

そこに、タブーが存在するからだといったほうがよいかもしれません。

リクナビNEXTが2007年に行った調査では退職経験者に対し、周囲・転職先に語った退職理由(建前)と、ほんとうの退職理由(本音)を分けて聞いています。

すると建前のほうは「キャリアアップしたかった」がダントツ(38%)で、以下「仕事内容が面白くなかった」(17%)、「労働時間・環境が不満だった」(11%)、「会社の経営方針・経営状況が変化した」(11%)と続きます。

いっぽう、本音の理由は「上司・経営者の仕事の仕方が気に入らなかった」(23%)が最多で、以下「労働時間・環境が不満だった」(14%)、「同僚・先輩・後輩とうまくいかなかった」(13%)、「給与が低かった」(12%)の順となっています。

ここから読み取れるのは、上司や同僚などとの人間関係や労働条件に対する不満が主な退職理由になっているにもかかわらず、表面的にはキャリアアップや仕事内容など前向きな理由をあげる傾向があるということです。

「意欲がある」前提の制度が長年独り歩きしてきたのです。

辞めるときにあえて事を荒立てる必要はないし、前向きな理由をあげたほうが転職に有利に働くのではないかと考えたのかもしれません。

しかし同時にそれは、キャリアアップや仕事内容といったポジティブな理由しか、会社に伝わっていないことを示しています。

したがって、それを真正直に受け止めた経営者や管理職、人事部員は社員の意欲に応えるため、挑戦を促し、挑戦できるような職場づくりをしなければならない、と考えても不思議ではありません。

そこから社員のリテンション(人材確保)やモラールアップ(士気向上)に向け、ほんとうのニーズとは乖離(かいり)した制度づくりやマネジメントが独り歩きしていきます。

 

 

人事の専門家など第三者による議論もまた、潜在的には意欲があることを前提にした「心理的安全性の確保」といったところに導かれがちです。

会社、より具体的にいうと上司や人事部に「やる気」のあるところをアピールする姿は、会社はもとより、たいていの組織のなか、さらにいえば日本社会全体にみられる現象といえます。

見せかけの勤勉で、会社のなかでは、必要がなくても周りが残っていたら残業したり、有給休暇をほとんど取得しなかったり、存在感を示すため会議で意味なく発言したり、といった行動がその例です。

やる気と客観的な成果は必ずしも一致しません。ミーティングで長時間にわたってワイワイガヤガヤと議論する「ワイガヤ」も、背後には同様の気持ちが働いている可能性があります。

ブレーンストーミングのような対面での話し合いより、単に個人を集めた名目的な集団のほうが仕事のパフォーマンスが高くなることを明らかです。

実際、職場では口角泡を飛ばし、侃々諤々の議論をしていても、一歩職場の外に出たら仕事の話や自己啓発の情報などにはほとんど興味を示さない人が多いです。

見かけ上の「やる気」や自己陶酔と本物の「やる気」、客観的な成果とは必ずしも一致しないのです。

それを考えたら、メンバーどうしの議論や相互作用を重視する日本式の知識創造も、その効果を過大評価しないほうがよいかもしれません。

日本人の仕事への「熱意」は主要国の最低基準です。

このように社員が「やる気」をアピールするのは、人事評価を強く意識しているからにほかなりません。

そもそも日本では企業側が人事に大きな裁量権を握っており、昇給や昇進・昇格はもちろん、人事異動、転勤も原則として人事評価にかかっています。

ときには辞令一枚で本人はもちろん、家族の生活まで一変します。

しかも日本では個々人の仕事の分担や責任範囲が明確でないので、アウトプットすなわち仕事の成果や果たした役割で客観的に評価することが難しいのです。

そのため働いた時間のようなインプットで評価せざるを得ません。

しかしホワイトカラーの仕事は労働時間だけで貢献度を推し量ることができないので、同じインプットでも「やる気」をはじめ抽象的な態度や意欲で評価することになりやすいのです。

 

 

だからこそ社員は「やる気」があるところをアピールしようとするのです。

それが必ずしもほんとうの意欲を表していないのは、各種の調査結果からも見て取れます。象徴的なのが「ワークエンゲージメント」の極端な低さです。

ギャラップ社が2017年に行った調査によると、日本では「熱意がある」(engaged)社員がわずか6%に過ぎず、139カ国のなかで132位となっています。

同様の調査は他の機関でも行われていますが、いずれの結果を見ても日本人のワークエンゲージメントは主要国のなかで最低水準です。

ただ問題の深刻さは、エンゲージメントの低さそのものより、それが表面化しないところにあります。

「やる気」重視の風土が個人の「やる気」のなさを隠しています。

いうまでもないことですが、「やる気」のない人はどこの国にもいます。中国の若者の間ではいま、激しい競争社会に背を向け、努力しようとしない「躺平(たんぴん)主義」と呼ばれる生き方が広がってきています。

そして、それが態度や働きぶりにも表れています。実際に中国の企業を訪ねてみると、床に横たわるなど「やる気」のなさを隠そうともしない若者の姿を目にすることがあります。

少なくとも日本人と違って、周囲の目をそれほど意識している様子は感じられません。

IBMが2019年に行った調査や、人事コンサルタント会社のケネクサが2012、13年に実施した調査によると、中国人のワークエンゲージメントは日本人よりかなり高い水準です。

にもかかわらず日本人のほうが中国人よりも「やる気」があるように見えるのは、やはり日本では成果よりも態度や意欲を評価する傾向が強いからでしょう。

いずれにしても、「やる気」を重視する組織や社会の風土が、逆に意外なほど「やる気」が乏しい現実を見抜けなくしています。

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