氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

日本も欧米なみの「超絶階層社会」になる

ここ20年、基本的にずっとインフレ基調でしたし、IT化、AI化も長らく進んできました。その結果、社会は分断し、貧富の差が広がり、いくつかの階層に分かれました。なので日本でも今後、貧富の差が拡大し、いくつかの階層に分かれでしょう。

なぜ、こんなにも貧富の差が広がったのかには諸説ありますが、富裕層とそれ以外の人を分けたのは、投資をしているか否かでしょう。

テック系の仕事に就き、若いうちから投資を始めた層は、間違いなく富裕層に食い込んでいますし、そこそこの仕事で、あまり投資をやってこなかった人はミドルクラスです。

そして、たいした仕事にもありつけず、投資にお金を回せなかった人々は、貧困層です。

日銀は今月19日の金融政策決定会合のあとの記者会見で、17年継続してきた「マイナス金利政策」の解除を正式に発表しました。

全社会的なインフレ基調を受けて、大規模な金融緩和は「その役割を果たした」として。  

これからのインフレの時代にこそ、貧富の差がいよいよ急激に拡大します。

いきなりアメリカのような強烈な格差社会になるとまでは言わないが、日本もいままで以上に格差が拡大し、着実にアメリカ型の階層社会に向かっていくことは避けられません。

それはやがて、これまで日本で拡大していたとされる「経済格差」などかわいく思えるくらいの分断となります。  

なぜならインフレの時代というのは、投資するかどうか、あるいはもっと抽象的に表現するならば「リスクを選好するかどうか」が、個々人の経済状況を大きく分けるファクターとなっていくからです。

この局面であえて「なにもしない(とりあえず現金をそのまま銀行預金にまわす)」を選んでしまうと、それでは現状維持にさえならず、貨幣価値の下落にともなってじりじりと個人のおかれている状況は悪化していくことになります。  

たしかにサラリーマンの給料は全体的には上がっているとはいえ賃上げは実質賃金の低下に追いついていないし、大幅な昇給を実現しているのはいまのところ一部の大企業だけであるため、給与所得の上振れだけを頼りにしているかぎり、収支ではマイナスになっていきます。

「投資する」「リスクを取る」という行動に打って出られるかどうかが、インフレによって知らず知らずのうちに減少する自分の財産を守る最低限の戦略となります。

インフレの時代とは、よきにつけあしきにつけ、人びとになんらかの行動を迫る時代だともいえます。  

むろんリスクを取ったからといって、絶対によい結果になるとは保証されません。しかし「なにもしない」と敗北(損失)は必至となります。

望むと望まざるとにかかわらず、インフレは一人ひとりに「自衛」のための具体的かつ主体的な行動を迫ります。「自衛」に迫られた人びとの挑戦的な行動が増えることで、世の中全体のスピード感も高まっていきます。  

この局面でしっかりお金のこと、資産運用のこと、将来のローン計画などを能動的に学んで情報を集め、リスクをおそれずに「投資する」という方向に動ける人のなかから(もちろん全員がそうではないが)インフレの時代の「勝ち組」が生まれます。  

「失われた30年」と別称されるこれまでのデフレの時代は、多くの人が異口同音に「暗黒の時代だった」とふりかえる。景気が悪くて、仕事がなくて、生活が不安定で、先行きが不透明で――ひと昔前には「はやくデフレから脱出しろ」と言っている人も大勢いました。  

しかし、これからやってくる問答無用のインフレの時代を味わう人のなかには、自分が本当は「デフレの時代」の方が好きだったのだ、と気づかされる人も少なからず現れることでしょう。  

なぜならデフレの時代とは、「なにもしない」が「大正解」ではないにしても、とりあえず「大間違いにはならない」選択肢だった時代でもあるからです。

デフレ時代の人びとは、個々人が主体的かつ能動的に知識武装し、投資したり資産運用したりしてリスク選好型の生き方をする必要にも迫られず、ただその日その日を一所懸命に生きていくことをひとまずは是としていました。世の中全体のスピードも、挑戦することよりも生活の安定を選ぶことが正道とされていたがゆえに、「ゆっくり」な時代でした。  

景気はよくなかったし、人余りもひどかったが、しかしアメリカ社会のような、もはやどうすることもできないほど絶望的な格差が開いているというわけでもなく、「みんな横並びで、みんなそこそこしんどい」という状況を大勢で共有することができたがゆえの、ある種の「安堵感」さえ感じられました。  

大きく勝つこともないけれど、大きく負けることもない。本当に生活に窮したなら、天文学的な公金が毎年投入されて「雇用の受け皿」的な立ち位置になっていた医療・介護産業の人的リソースとして吸収されてしまえば、激務薄給ではあるものの(物価水準も高くないので)とりあえず食いつないでいくことはできたのです。

リスク回避的で、冒険や挑戦を望まない人にとっては、それはそれで「デフレの時代」ならではのメリットだったといえるでしょう。  

閉塞感はあるが、しかし個々人がリスクを背負わなければならないわけではなく、切迫感や焦燥感に駆りたてられないのです。みんなが横並び一線でそこそこ悪いから、自分だけが負け組ではないという安堵感もあります。

30年という長期にわたってこの国を覆ってきた時代精神、いわゆる「デフレマインド」にすっかり順応して、むしろこっちの方が「しっくりくる」人も少なくなかったのではないでしょうか。

30年とは、人の一生にとってはけっして短くはなく、ある個人の認知を塗り替えてしまうには十分すぎる長さです。  

口ではデフレについてあれこれ文句を言ってはいたけど、本心ではデフレ基調の社会を「好き」になってしまっていた人が、日本には結構な数でいるのではないでしょうか。

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