一般の方には、なぜ利上げ観測にそれ程のインパクトがあるのか、俄に分かりづらいところもあるかもしれません。つ今回のマイナス金利解除が招く人々の「利上げ観測」が、それが「観測」であるだけであるにもかかわらず、実際の「賃下げ」、国民の「貧困化」を招きます。
短期的被害(1):住宅ローン利払い費の拡大
まず、マイナス金利解除がもたらす短期的被害として既に生じてしまっている代表的なものが、住宅ローン利払い費への影響です。
現時点において具体的に金利が上昇しているわけではないが、「今後金利が上がるだろう」という期待が拡大したことによって、既に「変動金利」でなく「固定金利」を選択する人が増えていることが報告されています。
今後利上げが進めば変動金利の方が固定金利よりも利払い費が多くなるかもしれない、という「危惧」を抱く人が増えているのです。
現時点における固定金利の利率は、変動金利の利率より圧倒的に高く、固定金利選択者は、当面の間、変動金利を選択した人よりもより多くの利払いを余儀なくされます。
この例は、今回のマイナス金利解除が、実際に可処分所得の下落をもたらしつつある実例を示しています。
短期的被害(2):インフラ輸出の低迷
しかし、短期的被害の中でも特に甚大なのは、外国政府へのODA等における「インフラ輸出」を即座に大きく減少させるという影響です。
インフラ輸出の多くは今、日本政府が外国政府にインフラ投資等についての融資(円借款)に基づく「援助」(つまりODA)の一環として行われていますが、それには以下の二種類があります。
【アンタイド援助】 日本政府がお金を貸し出された外国政府が、入札を行って業者を選定し、その資金を使ってインフラ投資を行う(日本企業が受注するとは限らない)。
【タイド援助】 日本政府がお金を貸し出された外国政府が、その資金と「日本企業」を使って、インフラ投資を行う(いわゆる「ひも付き援助」)。
つまり、貸し出された資金は、タイド援助では日本企業の収入となる一方、アンタイド援助では日本企業の収入になるとは限らず、多くのケースで外国企業に流出します。
したがって、海外援助は、アンタイドではなくタイドの方が日本にとっては望ましいですが、外国政府がタイド援助を許容するには、タイドを選択した際の「メリット」(いわゆる“餌”)が必要です。
そんなタイドのメリットとして日本政府が提供しているのが「金利を引き下げる」というものです。
つまり日本政府は外国に対して「安い金利でお金を貸すから、あなたの国の業者でなく、日本の業者を使ってください」と交渉するわけです。
だからかつて日本がインフレで金利が概して高かった頃、日本政府は「タイド」での援助がほとんどできませんでした(当時はタイド援助は殆どゼロの僅か数%であった)。
しかし昨今はマイナス金利のお陰で、日本政府は「タイド」での援助を大量に行うことが可能となりました。
例えばJICAでの約2.5兆円に上る海外支援の内、タイド率は2022年度では48%にまで上昇しています。
これはつまり、マイナス金利のお陰で約1.2兆円程度のインフラ投資を、日本企業が受注していた事を意味します。
ところが今、(関係者にヒアリングを行ったところ)マイナス金利が解除されたことの煽りを受け、次年度の「タイド」でのODAが急速に減少し、ほとんどタイド案件を作れないという事態です。
これは、ODAの担当者たちが、今後の利上げを想定し、そのリスクを回避するために、タイド案件で外国政府と交渉することを忌避しはじめためからです。
もし仮に、タイドによる円借款でのODAが「ゼロ」になってしまえば、先に述べた1.2兆円の日本企業の収入がゼロになってしまいます。
すなわちこれもまた、ゼロ金利解除がもたらした金利上昇の「観測」が、日本企業の受注額を大幅に下落させ、「実際」に国民所得の低迷をもたらします。
ここまでは利上げ観測による短期的な被害ですが、中長期的にはさらに深刻な影響をもたらします。
それは利上げ観測が日本政府の「財政規律」をより厳しいものへと改変させ、緊縮財政を加速し、それを通して「日本の貧困化」を決定的なものにすることです。
今回のマイナス金利解除がもたらした「本格利上げ観測」は、負債を抱えている主体にとってみれば、「利払い費の拡大」を意味します。
だから彼らは急速に「財布の紐」を締め始めており、そんな経済主体の一つが「政府」です。
政府は毎年6月に当面の財政の基本方針、いわゆる「骨太の方針」を策定するのだが、今年の「骨太」は特に重要で、
・2025年のPB黒字化目標を堅持するか否か
・「3年で1000億円」(つまり年333億円)以下という予算増額上限
という予算キャップルールが切れ、新たな予算キャップルールを2025年度に改めて導入するか否かを決定する年次となっているからです。
そして、「3月」のこのタイミングにマイナス金利解除が行われ、本格的利上げ観測が生まれ、これから「政府の利払い費が拡大するだろう」という予期を拡大したことで、「6月」のこれらの判断がいずれも「緊縮」的なものとなる可能性を抜本的に高めてしまったのです(むしろ、6月の骨太をめがけて、3月にわざわざマイナス金利解除をしたかのようにすら見える程の“ジャストタイミング”だ)。
つまり、PB黒字化を25年に何としてでも達成し、当面(例えば今後10年間)は年333億円以上の予算増を認めないという予算キャップルールを導入する可能性が高まったのです。
しかも、今回のマイナス金利解除にあたって、植田総裁は、その決定根拠として好景気(賃金と物価の持続的な上昇)が「確認できた」と宣言したのですが(そんな判断は単なる「嘘八百」なのだが)、この宣言がまた、財政規律強化の「口実」となり得るのです。
好景気だったらこれ以上の経済対策は不要だから、財政規律を強化してもよいという論調を導くからです。
無論、「骨太」の議論はまさにこれからであり、自民党内には財政規律強化に強烈に反対する声も存在していることから、それがどうなるかは現時点では未定です。
しかし、マイナス金利解除に促されるように、実際に財政規律が強化されてしまえば、(日銀の宣言とは裏腹に)下落し続ける実質賃金も相まって、消費がさらに低迷することを決定的にします。
そうなれば日本の貧困化は劇的な速度で進行していきます。
日本銀行は、少し考えればこうした「悪影響」がもたらされることなどスグに分かるはずであるにもかかわらず、マイナス金利解除を行ったのです。
つまり彼らは、日本国民が貧困化することを分かっていながら、「何らかの理由」で、嘘をつきながらマイナス金利を解除したのです。
財政規律を強化したい財務省、マイナス金利解除によって直接利益が拡大する銀行業界、景気が良いと宣言してもらって支持率を少しでも上げたい岸田政権の思惑等が想定されます。
これ以上の利上げが、真に経済が再生されるまで進まないようにすることが、日本経済のためには絶対に必要です。
はたして我々日本国民は、こうした日銀が重大な役割を担う「国民貧困化」の流れを食い止めることができるでしょうか?
そのためにはまず、現下の経済低迷期における利上げは、「観測」が広がるだけでもこれだけの酷い影響をもたらす程に最悪の政策なのだということを、一人でも多くの国民がより深く認識する必要があります。
それができない限りにおいては、我々の暮らしは、下らない政治家や官僚や大企業の人々の保身と利益のために、徹底的に破壊されつくすことが、回避不能となってしまうでしょう。