氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

仕事はできるが横暴な人は、長い目で見れば生産性悪化は必至

出世する人は嫌なヤツばかり、ということを、なぜかどの組織でも言われています。

今でも「仕事はできるが横暴な人」が様々な職場には存在し、それを容認することが仕事をすることなのだと思い込まされています。

だが、どんな地位にある人であっても、どれだけ仕事ができる人であっても、人の尊厳を傷つけてよいという理由にはならないのです。

いま「仕事はできるが横暴な人」と言われて、あなたの頭に一人、いや数人の顔が思い浮かぶのではないでしょうか。

なぜ、こうした横暴な人たちが問題にされないのかと疑問を持っても、仕事はできるので難があっても置いておきたいという上司の意向が後ろ盾になり、あるいは部下たちからは、人間性に問題はあるが仕事ができるのでいてもらわないと困る、といった理由を説明され、職場に存在しつづけています。

楽天ゴールデンイーグルスが、自由契約を言い渡した安樂智大選手に、チームメートへのハラスメント行為があったと公表すると、自分たちの職場のあり方を改めて考える人がSNS上にも複数現れ、議論が展開されました。

そして、ネットだけでなくリアルでも「仕事はできるが横暴な人」問題について考え直している人たちがいます。

安楽選手の件は、私も原稿を書きながら色々と考えました。プレー(仕事)は文句なしだが、部下へのパワハラやセクハラがひどい、という同僚や上司がわんさかいるので。ああいうのを許すと、組織全体が腐るのは間違いない。

安樂選手はピッチャーで、この数年は登板機会も多く、チームの中枢選手と言って良よかったですが、成績が上がるほど部下へのパワハラやセクハラが過激になり、他の選手もその実態を把握しているのに言えなかったのです。

まさに『仕事はできるが横暴な人』の典型です。

重要な戦力を失ったチーム側も相当に苦しいはずですが、処分が遅かったという指摘はあっても、セクハラやパワハラを許さないという球団の姿勢は評価されてよいはずです。

壮絶なパワハラで有名だが仕事の鬼という上司にコテンパンにやられたとき、その都度、別の上司から「あれくらい耐えられないと一人前になれない」とアドバイスを受けた。では今、あのときの体験が役立っているかと言われたら「パワハラ、セクハラを耐えたから今があるという奴なんか信用できません。

一言で言えば、強引で意固地。社内的な人間関係などの問題も多々、起こすが、それでも最終的には大きく見える形になる仕事をするから、上司たちからの覚えもめでたいが、部下からは上ばかり見て下を見ない”ヒラメ”だと陰口を叩かれています。  

また、入社以来何年もの間、10歳ほど年上のやり手部長から怒鳴られたり公衆の面前で罵詈雑言を浴びせられたりしましたが、やり手部長は難しいプロジェクトをまとめたり、大きな案件をこなすリーダー役として社内で知られており、幹部からも一目置かれる存在だったといいます。

そんな状態が長く続いて、社内では横暴部長の存在は「当たり前」「仕方ないこと」として誰もが捉えていました。

しかし、数年前、会社の仲間たちの意識が一気に変わる出来事がありました。

当時、部長の配下にいた新入社員や若手社員が、部長の日常的なパワハラを理由に出社拒否すると言い出したんです。でも、幹部など上の人たちは”今までの若手は耐えてきたんだ”とか”若手の我慢強さが足りない”と判断し、どうせ部下はやめないと考えていました。

ところが、3人の部下が、あっけなく辞めました。部長の首もともこれで涼しくなるかと思いきや、パワハラは相変わらずです。

幹部たちは、3人もの若手社員が去ったのに「有能な部長に辞められたら困る」「大きな仕事を誰がやるのか」と部長の配置転換などに難色を示しました。

ところが、間も無く別の部下たちからも退職や部署異動の願いが続々寄せられたことで、部長はついに失脚しました。

閑職へと追いやられたものの、まだ幹部の一部は「部長の穴を埋められるわけがない」と言い続けていました。

ところが結局、部長のパワハラが消えたおかげで、様々な業務がスムーズにすすむようになり、若手は上司にビクビクしなくなった分、明るく仕事に励むようになれたのです。

あの人にしかできない、という仕事は確かにあるかもしれません。ただ、そこで考えるのを辞めてしまってはダメなんです。目先の利益にとらわれて将来の展望を持たないのと同じで、パワハラがあることでの損失が計り知れないことも認識すべきです。

今では、部長にしかできないとされてきた仕事は若手がすんなりこなしていて、結局部長はパワハラを使って仕事を独占しようとしていただけじゃないのかとすら思っています。

声が大きい人が、実力以上に力があるように振る舞い、成果も大きいように見せるのはよくあることです。

変化を嫌う組織では、その大きな声に惑わされ、彼らにいいようにされているのかもしれません。

「仕事はできるが横暴な人」が生き残るのは、その上司たちの意向が根強いことです。

そして、パワハラやセクハラが横行する会社は若手の定着率も低く、結果的に会社は成長しません。

一見、ものすごく当たり前のことではあるが、パワハラ・セクハラ社員を大切に抱えている会社幹部たちは、目先の利益や儲けのために「致し方ない」と見て見ぬふりをします。

たとえそれが犯罪であっても、です。

専務のセクハラは、社内ではセクハラとは捉えられていないほど、日常的でした。私自身、お尻を触られたり、肩を抱かれたりしたことがあり最初は驚いていました。ですが、専務は仕事ができるし、気に入られないと出世に響くと我慢しているうちに、結果的にわたしたちも専務のセクハラを許していた。そう指摘されて、初めて我に返りました。

食品卸会社に勤務する30代女性は、入社直後、専務があまりにも自然に”セクハラ”を行うことに唖然としました。

しかし、専務は会社にとって非常に重要な存在であり、社内報や業界紙にしばしば登場しては「食品業界の未来」などといった難しいテーマの寄稿を行うなど内外に知られた存在であった為か、セクハラを咎める上司は皆無だったといいます。

年齢の近い女性の上司なんか、セクハラされて喜んでいるようにも見えました。これがこの会社の普通だし、専務がいなければ私たちの仕事もなくなると感じてしまっていました。

実際、会社上層部には専務へのクレームもまったく無かったのです。  

入社から5年ほどが経った頃、数人の女性社員たちが「専務のセクハラに対する抗議」と「セクハラ専務を許す会社への抗議」を行うと聞き、即座に頭をよぎったのは「専務がいなくなって大丈夫なの」という不安だったといいます。

結局、私自身も専務のセクハラを許してしまっていた1人。セクハラがいけないこと、とは思わず、それくらいで専務を辞めさせてあなたたちの仕事はどうなるの、と。

ただ、この時に旗振り役だった女性上司が、今まで専務のセクハラが理由で何人もの女性社員が辞めたこと、辞めた女性社員は会社の雰囲気に飲まれて被害の訴えを出せなかったことなどを教えてくれました。

その時に初めて、自分もセクハラをする側にいたのかと情けなくて悲しく、恥ずかしいと感じました。

ベテラン女性社員や男性上司の一部からは、なお専務を擁護する声も聞かれましたが、「時代が変わりかけていたのかもしれない」というように、役員会で専務の異動があっさりと決定しました。

以来、セクハラはもちろんパワハラを許さないという空気が会社中に醸成され、年齢や立場に関係なくものが言い合える、風通しの良い職場になったといいます。

「専務がいなくなった損失は確かにありました。でも、そのまま黙認していては、若手がみんなやめて会社がなくなっていたかもしれない。損得勘定で考えるのはおかしいかもしれませんが、長い目でみれば結局セクハラやパワハラは生産性を低下させるだけ。

何より、セクハラやパワハラが許される世の中ではダメなんです。

今なお、敏腕だがパワハラばかり、人付き合いはピカイチだがセクハラばかり……そんな人が大きな顔をしてのさばってはいないでしょうか。

それを許しているのが自分自身であり、そのせいで組織の可能性の芽すら摘み取っているという事実と、しっかり対峙すべきでしょう。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村