氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

定年後「仕事ができる人」ほど途方に暮れる

定年後の生活の難しさは、長年組織の縛りの中で生きてきたのに、いきなり「自分の好きなように生きれば良い」となります。  

組織生活に息苦しさを感じ、もっと自由に生きたいと思っていた人も、いざ自由にしていいとなると、どうしたらいいか分からなくなります。

組織生活に適応し、やりがいを感じていた人は、組織の縛りを喜んで受け入れてきたわけで、それがなくなり自由にして良いとなったときの戸惑いは非常に大きいものです。  

いずれにしても、定年退職によって自由になると、せっかく手に入れた自由を持て余し、暇でしようがない、毎日をどう過ごしたらよいかわからないなどと言い出す人が多いです。  

人間というのは勝手なもので、人から強制されると抵抗を示す人も、自由にやるように言われると戸惑うものです。

「言われた通りにやればいいんだ」などと言われるとモチベーションが下がってしまうと嘆く人に、「では、自分の思うように自由にやってくれればいい」と言うと、「いきなり自由にしろと言われても困る。どうすればいいのか示してくれないと」などと言い出すのです。  

会社生活では、給料をもらう代わりに会社にとって必要な仕事をする義務があり、そんな自由度の小さい生活に嫌気が差し、やらなければならないこと、必要なことだけして暮らすなんて虚しいと言う人も、いざ自由にしていいとなると、どうしたらいいのか分からなくなります。

組織の原理に従って暮らすことに慣れすぎてしまい、自分の思うままに自由に暮らす方法をいつの間にか忘れてしまっているのです。

これは、青年期のアイデンティティー拡散の心理状態に近いものです。  

青年期になると自己意識が高まり、「自分は何者か?」「どう生きるのが自分らしいのか?」といった問いを巡って真剣な自己探求が始まります。

そうした自己探求の中で、自分はいったい何をしたいのか、自分は何をすべきなのか、どう生きるのが自分にふさわしいのかを検討し、「自分はこういう人間である」というイメージが鮮明になったとき、自己のアイデンティティーが確立されます。

そこまで深く考えることがなかった場合も、目指す就職先候補が見えてくると、アイデンティティーをめぐる葛藤からとりあえず解放され、気持ちが落ち着きます。  

ところが、いくら考えても自分がどうしたいのかが分からず、自分を見失ったまま、自己探求の迷宮にはまってしまうことをアイデンティティ拡散といいます。

つまり、アイデンティティー拡散というのは、自分がよく分からない状態を指します。

組織から解放され自由な身になる定年後の自分を想像し、どうしたら良いか分からず混乱している人は、まさに青年期のアイデンティティー拡散に似た心理状態にあります。

特に自分自身の欲求や気持ちを疎外して、組織の原理に則って行動するサラリーマン生活に、何の疑問も持たずに適応してきた人は、自分自身の欲求や気持ちがつかめなくなります。

そのようなタイプがいきなり自由な身になると、「自分が何をしたいのか、どんなふうに暮らしたいのかが分からない」「どうしたら自分が満足する生活になるのか分からない」というようなことになってしまう。

だからといって、自分自身の欲求や気持ちを疎外してきたことが悪いというのではなく、職業生活の真っただ中で、自分の欲求や気持ちを始終意識していたら仕事になりません。

そういう自意識を遮断しないと有能な働き手でいられない意味でも、自分自身の欲求や気持ちを疎外するのは、組織に適応するための有効な戦略だったのです。  

組織における役割に徹していれば、無事に職務を果たせるし、それに見合った報酬が与えられ、肯定的な評価が得られるし、自分なりの達成感も得られます。  

それに対して、自分の欲求や気持ちをもっと大事にしたいと思い、「毎日毎日ノルマ達成に追い立てられる生活なんて虚しい」「これが、自分が思い描いていた人生だったのだろうか」「もっと自分が納得できる生き方があるのではないか」などと、日々の仕事生活に疑問を抱いたりしたら、職務に邁進(まいしん)できません。  

さらには価値観の絡む葛藤まで生じ、「うちの会社の商品は、本当に人々の生活向上のためになっているのだろうか」「こんな営業活動をするよりも、もっと考えないといけないことがあるのではないか」などと考え込んでしまったら、組織にとって都合のいい人材としての動きが鈍りかねません。  

いわば、組織において有能な働き手として何の疑問もなく働いてきた人は、組織に適応し安定した生活を手に入れる代わりに、自己疎外による思考停止に陥っていたのです。

そんな状態が何十年も続いてきたわけだから、自分の欲求や気持ちが分からなくなっているのもやむを得ないことです。

組織人間としてうまくやっていた人ほど自己疎外とともに思考停止状態に陥っていたことになります。組織生活への過剰適応によって、自分の欲求や気持ちが強く抑圧され、自分が分からなくなってしまったのです。  

定年後には稼ぎにそこまでこだわる必要もないし、組織に縛られることもなく、そこで自分自身を取り戻すために考えたいのは、稼ぐために犠牲にしてきたこと、断念したことは何かなかったかということです。  

若い頃、やりたいことがあったけど、それで食っていくのは無理だと思って諦め、やってみたいと思う趣味があったけど、仕事が忙しくてなかなか踏み出せず、あるいは、かつては打ち込んでいた趣味があったのだが、働き盛りになってからは仕事で忙しくなり、休日はぐったり疲れてしまい、趣味どころではなかったことはないでしょうか。  

そのときの仕事よりやりがいのある仕事への転職のチャンスがあっても、収入が減るため、家族のことを考えて断念したことはなかったでしょうか。  

このように思い返してみれば、誰でも何か思い当たることがあるでしょう。

たとえば、若い頃から走るのが好きで、定時に帰宅できたときは近くの川辺をよくジョギングしていたが、これからは通勤もないので、体力維持のために毎日ジョギングをして、できればマラソン大会とかにも出てみたいという人もいます。  

器用なほうで何かを自分の手で作るのが好きなのだけど、現役の頃は忙しくて家で何かする余裕がなかったので、定年退職後は、自分で家の内壁を崩して塗り替えたり、リビングの床を張り直したり、台所を改装したりと、DIYに凝って充実した時間を過ごしているという人もいます。  

仕事人間として暮らしながらも趣味人の生活に憧れを持っていたので、定年退職を機にテレビの俳句講座を視聴し、拙い俳句を詠むのが楽しくなり、昔の俳人の足取りをたどる旅行をしながら俳句を詠んだりして趣味人の生活を楽しんでいるという人もいます。

学生時代は山歩きが好きでよく出かけていたけど、就職してからはそんな暇もなく、たまに暇があっても気力が湧かず、遠ざかっていたけど、定年退職後に久しぶりに山歩きに出かけてみたら、その魅力に取り付かれ、今は毎週いろんな山に出かけているという人もいます。  

退職後の自由な生活の楽しみ方、充実のさせ方が分からないという人は、稼ぎのためにできずにいたこと、諦めたことなどを思い返してみてはどうでしょうか。

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