世間を大きく騒がせている、ジャニーズ事務所の性加害問題です。記者会見の場で出た「得体の知れない空気感」という言葉が注目を集めました。
犯罪を承知していたのに、それが問題(犯罪)であることを指摘できず、止めることができなかったという意味です。
しかし、これほど大きな組織、多数の人がかかわる集団でそのようなことが実際起こりえるのでしょうか。
(空気は)非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ『判断の基準』であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力をもつちます。
集団を支配している側が、特定の空気を蔓延させると、その集団に蔓延している空気の圧力によって、集団に所属する者は思考と行動を拘束されてします。
明文化されていないルールなのに、その一線を越えることがどうしてもできない。無言の空気の圧力によって、関係していた人たちは、声を上げることができなかった時期が長く続いてしまったのです。
さらに、若者たちが自分の夢を叶えるための場所と考えていたことで、犯罪を表面化させることを避ける心理が集団に働いたことも、この事件をより醜悪かつ悲惨なものにしたのでしょう。
企業不祥事、犯罪には2つの異なった罪があります。
1つ目は、企業不祥事や犯罪そのもの。2つ目は、不祥事や犯罪を「長く隠ぺいする誤った努力」です。
企業不祥事や犯罪は、隠ぺいするほど被害者が急拡大することがあります。食品を扱う企業では、食中毒や異物混入事件などがその典型例です。
命にかかわる問題の場合、1分でも早く不祥事や不具合を公表することが、新たな被害者や死者を出さないための最重要ポイントになります。
今回のジャニーズ事務所の事件でも、告発自体は相当の過去から行われており、そのようなネガティブな情報を真摯に受け止めてこなかったことが、被害者を膨大な数にすることにつながりました。
結果として、ジャニーズ事務所自体が現在、消滅の危機に直面しています。
犯罪や不祥事を「長く隠ぺいしてしまった」ことで被害が拡大し、非難が殺到して当該企業が消滅した事例は、企業史に多数あります。
企業不祥事や犯罪の隠ぺいには、「内側意識」が常につきまといます。空気に支配された集団は、内側の視点で問題を見てしまうのです。混乱の中で、不祥事を告発する動きを自ら潰そうとしてしまう、あるいは問題を明るみに出すことを組織全体で躊躇してしまうのです。
不祥事や犯罪の隠ぺいに関連して「父と子の関係」があります。
父と子の関係とは、『論語』の『孔子曰く、我が党の直き者は、是に異なり、父は子のために隠し、子は父のために隠す、直きこと斯の中にあり』の言葉から来ています。「党」とはここでは村を指します。
ある村で父親がヒツジを盗み、それを見た息子が父を訴えた。村の長が「わが村にはこれほど正直な者が住んでいるのです」と孔子に言いますが、孔子は「私の村では、父が子をかばい、子が父をかばう。そのような正直さを発揮しています」と述べた逸話です。
集団としてのムラが比較的大きいと、「父は子のために隠し、子は父のために隠す」という異常な感覚が空気(組織の前提)として浸透してしまう。
日本では「場」に権力があることが多く、「場」から発生する権力や利益の恩恵に預かっている者は、「場」を必死に守ろうとする。
ただし、それが犯罪や不祥事になると「大切な場」を守ろうとして、何らかの隠ぺいが続くことになり、(犯罪や不祥事の)隠ぺいが積み重なることで、すべてを破綻させてしまう破局まで向かってしまうのです。
空気=ある種の前提と定義しました。空気とは、組織支配のために押し付けられた「ある種の前提」であり、「この前提を起点に発想しろ」「この前提以外の考えはすべてダメ出しする」などの閉塞的な状況を生み出します。
性加害の犯罪が「通過儀礼」「仕方ないこと」「秘密にすべきこと」などの前提(空気)となり、その前提に逆らうことが許されない状態。
このような状態を可能にするのは、そのムラが巨大な権力を持ち、異論や問題の指摘を封殺する圧力を発揮できたからでしょう。〇〇ムラなどの産業構造がある日本社会にとって、これは今でも残る社会圧力の一種です。
この状態は、ある特定のムラの中で「カラスは白い」という前提(空気)が強制される状況を考えると分かりやすいです。カラスを白いと決定し、その前提を保持するムラを創り上げて、外界と情報遮断する。
すると、ムラでは「カラスは白い」という虚構を真実として設定して人々は演技をしながら生活する。
現代日本でも、ムラの中で「カラスは白い!」と連呼する人たちは大勢います。もし「カラスは黒い」と真実を話す人がいれば、言論弾圧で黙らせる。あるいは「そういう発言をする奴がいるから、カラスが黒くなるんだ」とまで言う。
これでは社会に閉塞感ばかりが積み上がるのも無理はありません。しかし日本という国では、今でも空気による圧力が(残念なことに)通用しているのが現実なのです。
カラスは白い、という世界を維持するためには、閉鎖的な空間が必要になります。
カラスは白い、というのは明らかに虚構です。そして、劇場の中で共有している虚構は、観客が劇場の外に気付いた瞬間に崩壊します。
それはムラ社会における「ムラの外」といえる現実です。
今回の事件でも、英国BBCによる性加害の報道があり、その影響が日本国内でも無視できない状況に至ってはじめて日本のメディアでも本格的に事件が取り上げられたことは、皆さんの記憶に新しいことでしょう。
私たち日本人が現在体験しているのは、「どのような巨大なムラにも必ずその外側がある」という現実への目覚めです。
ムラの外側では、「カラスは白い」は一切通用しません。これは当然です。ムラの外の人間には、ムラの中の虚構を押し付けることができないからです。
今後、「あらゆるムラにも、その外側が必ずある」という現実感覚は、日本人と日本社会に急速に広まっていくでしょう。その象徴の一つが、今回の事件でもあるのです。
空気を打破する4つの起点は、
① 空気の相対化
② 閉鎖された劇場の破壊
③ 空気を断ち切る思考の自由
④ 流れに対抗する根本主義
結局のところ、問題に対処できるリーダーは「過去のしがらみに縛られず」「ムラの外の常識を理解でき」「自らの保身を一瞬も考えず」「新たなウソを重ねない」人物ということになります。真実の追及と罪の償いに集中せず、自らの保身を何らかの形で優先すれば、新しいウソをつくことにつながるでしょう。
そして、新たなウソを、社会はもはや容赦しない。
昨日の前提で明日を描こうとしても、健全な未来は描けません。それは昨日の歪みを引き継いだ、いびつで醜い未来図になるからです。
健全で良質な明日を描けるのは、未来にふさわしい前提を持ち、過去の空気を一切否定できる勇気あるリーダーのみです。
そして、そのリーダーは「自分を守る」という考え方を、一切(完全に)捨てて難局に対処する必要があります。
膨大な数の被害者を生み出して、日本社会を震撼させているこの事件で、上記のようなリーダーを得ることができるか否かが、組織が再生できるか、完全に消滅するかの分岐点になるのではないでしょうか。