氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

家賃5万円のアパートの隣に「タワマン」

日本の公立小学校では、富裕層と貧困層の子供が同じ教室で学んでいます。このように、日本は海外と比べ、居住区の特徴と貧富の差は不明瞭になのです。

こうした状態は、一体なにを生み出しているのでしょうか? 

生活保護という制度は、仕事につけず、財産も支援者もない人たちが生きていけるように国が生活に必要なお金を提供するためにあります。

金額は、その人の置かれている状況によって違いますが、シングルマザーで小中学生くらいの子供が2人いれば、おおむね月に20万円以上もらえます。

今、日本ではどれくらいの人が生活保護を受給して暮らしているか、答えは、約205万人、163万世帯(平成31年3月統計)です。

これは、長野県の総人口に匹敵するくらいの数です。

日本における貧困の特徴は、貧しい人たちだけが暮らす地区が目立った形であまり存在しないことです。

海外では居住区の特徴や貧富の差は露骨なまでにはっきりとしています。

この地区は移民の人たち、この地区はイスラム教の人たち、この地区は億万長者の人たち、この地区は不法占拠の家に住んでいる人たちといったように、居住区ごとに住民の特徴や貧富の差が明確です。

ところが、現代の日本ではそうしたことが外国ほど見られません。

かつては在日朝鮮人・韓国人部落だとか、被差別部落といったものがありましたが、少しずつそうしたものが減っていき、現在では一つの地区に多様な階層の人たちが交ざり合って住むようになりました。

たとえば、東京都の世田谷区は一般的に高級住宅地のイメージが強いけど、大きな邸宅のすぐ近くに家賃5万円台のアパートや公営住宅団地もあれば、ごく普通の賃貸マンションもあります。

外国人にしても、有名外資系企業に勤める高所得者もいれば、水商売をしているシングルマザーもいます。逆もしかりだ。

東京都台東区には、「山谷(さんや)」と呼ばれる日雇い労働者がたくさん暮らす地区があり、格安の簡易宿泊所が密集していて、道路や公園にはホームレスの人たちがあふれんばかりに住み着いていて、昔から貧困エリアと呼ばれてきました。

でも、駅前には大きなタワーマンションがあり、少し歩けば浅草やスカイツリーにたどりつきます。

もちろん、タワーマンションに住んでいるのは富裕層です。

世田谷区や台東区の例からわかるように、このように「ごちゃまぜ」が可能になっているのは、日本人の言語(方言)や文化が似ていることに加えて、福祉制度がしっかりしていることがあげられるでしょう。

その制度の代表格が生活保護です。この制度の中には住宅扶助という仕組みがあって、住む場所によってそれなりの住宅費が出ることになっています。

つまり、生活保護を受けてさえいれば、東京都だろうと、福岡県だろうと、沖縄だろうと、どこでも暮らすことができます。

この結果、私立ではなく、公立の小中学校へ行っていたとしたら、クラスメイトの親を思い出してもらうと、会社を経営しているお金持ちのお父さんをもつ子から、公務員の両親をもつ子、あるいはパートをしているシングルマザーの子までいます。

つまり、高所得層から低所得層までが一つの教室で机を並べて同じ時間をすごすことになるわけです。

ここには、いい面と悪い面とがあります。

いい面は、日本には低所得で生活する人が一定層いるが、彼らは福祉制度を受けさえすれば、最低限の生活を保障してもらえるということです。

福祉制度そのものがなくならないかぎり、貧しい人は毎月決まった日に食費や住宅費を手に入れることができる。毎日三食とることができ、節約すれば外食をしたり、旅行をしたりすることもできます。ペットだって飼えます。

僕の知っているシングルマザーは、生活保護を受けながら3人の子供を育てて、きちんと高校にも通わせていました。

年に1回は田舎の実家へ旅行がてらに帰省し、誕生日やクリスマスなど節目には小さなパーティーも開いていました。

子供の1人は自分で稼いだアルバイト代や奨学金を使って大学まで進学しました。

親にしてみれば、子供が独り立ちすれば、そのぶん生活保護の受給額は減らされることになります。

でも、本人に働く意志と力があれば、就労支援を受けて社会復帰への道を用意してもらえます。

日本の貧困率がこれほど高いのに、比較的治安がいいのは、こうした制度があることが一因です。

一方、途上国などでは福祉制度が整っておらず、生活に必要な額を十分に支給してもらえません。

日本でいえば生活保護障害年金を受けているはずなのに、それだけでは飢えて死にひんしてしまうことがあります。

その時、一部の人は生きるために犯罪に手を染めてお金を得ようとします。

泥棒をしたり、違法薬物を売ったり、詐欺をしたりと犯罪を重ねます。

場合によっては、何もしてくれない政府への反発から暴動やテロ、そして紛争に発展することもある。つまり、福祉制度の欠落が、治安の悪化を引き起こします。

こう考えてみると、福祉制度が整っていることが、どれほどその国を安定させるかがわかるでしょう。

福祉制度によって“自己否定感”が生まれる 今度は逆に、福祉制度が整っていることの負の面を見てみると、「ごちゃまぜ」であるがゆえに、貧困者は常に富める人と競争を強いられたり、格差を見せつけられたりすることで自己否定感を抱きがちな点です。

学校のクラスメイトの大半は、会社で働くサラリーマン家庭の子供です。

クラスの中で生活保護を受けている人は決して多くありません。

だからこそ、生活保護家庭の子供は、クラスメイトと比べて小さいアパートに住んでいることを恥じたり、高価なゲーム機やスマートフォンを買ってもらえないことに劣等感を覚えたりします。

塾へ行けず、勉強が嫌いになる子だっているでしょう。草野球をする時も一人だけグローブをもっておらず、いつも穴の開いたシャツを着ていました。

クラスメイトはそんな彼を「ビンボー」とからかい、いじめの標的にしました。

孫正義さんのように何か秀でたものがあれば、なにくそ、と思って努力できるかもしれませんが、そういう人は多くありません。

日々の暮らしの中で常に格差を痛感して、「努力したってどうしようもないんだ」と思って自分に自信がもてなくなったり、社会に希望を見出せなくなったりします。

いつの間にか不登校になってしまうのです。

親にも同じことがいえ、周りのお母さんが専業主婦同士でランチやカラオケを楽しんだり、海外旅行へ行ったことを自慢げに話したりします。

生活保護家庭のお母さんにとっては、そんな輪の中にいることは苦痛です。

自分が貧しいことを痛感して、みじめな思いになるはずです。

こうした中で、お母さんがどうにもならないいら立ちを子供にぶつけることもあるでしょう。

「子供に何もしてあげられていない」と考えて後ろ向きになってしまう人もいるかもしれません。

こうしたことが、家庭が荒すさむきっかけになり、自己否定感は「心の病気」です。

その子の中に一度できてしまうと、体の中でどんどん大きくなったり、他のところにも転移していったりして健康をむしばんでいきます。

勉強や仕事への意欲が衰え、ふさぎ込んで他人と接することを避け、何事にも投げやりになってしまうのです。 初期に発見できれば改善することができますが、進行すればするほど手の施ほどこしようがなくなります。

そしてついには生活全般がうまく回らなくなって崩壊します。

自己否定感が、時間をかけてその子の人生を壊してしまうのです。自己否定感は、人にとって破壊力をもっています。

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