氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

地方に移住した「ワガママすぎる都会の移住者たち」の実態

コロナ禍以降、テレビや雑誌、ネットなど各メディアで、都市部の密集した暮らしから、人口の少ない地方へ移住する、いわゆる「コロナ移住」という言葉をよく目にします。

リモートワーク・テレワークが導入され、勤務地以外のどこで暮らしていても仕事ができる環境になったことは非常に大きいです。

過疎に直面する地方自治体にとっては、田舎の良さをPRする絶好の機会です。

しかし、ちょっとした移住ブームのおかげで、にわか田舎ファンが増え、各地で迷惑をかけているという事例をよく耳にします。

何年もかけて地方移住を検討している人と、最近になって急速に地方移住に興味を持った人では性質が違うので、受け入れ側としては慎重にならざるを得ません。

自治体の窓口の相談に来た人に対しては、担当職員などが注意点などを伝えることで未然にトラブルを防いでいますが、ネット上で手ごろな空き家を見つけ、いきなり縁もゆかりもない土地へ飛び込む人には伝えようがありません。

都会も地方も日本であり、法律は同じですが、文化は全く違います。それを理解せずに飛び込むと、いろいろな摩擦が生じます。

当然一方だけが悪いということはなく、地方移住の失敗事例というと、移住先・田舎の方に問題があると思われがちです。

実際、ネット検索で上がってくる失敗事例は、田舎の人は閉鎖的で受け入れてくれないなどといった、田舎が悪いという意見が多いです。

2011年の東日本大震災以降、消費するだけの生活に疑問と不安を抱いた若者の間で「田園回帰」がはじまったことと、第二次安倍政権が打ち出した地方創生により、各自治体は移住者誘致に積極的に取り組むようになりました。

移住PRと観光PRは似て非なるものであり、良い面だけでなく、悪い面も伝えないといけないのですが、移住PRのノウハウがない自治体は、観光さながらのPRを行いました。

移住者は客ではなく、まちの住民となるのですが、受け入れ側がそんな調子だから、移住をあたかも観光のように錯覚する移住希望者が増えてしまうのです。

役場窓口の担当者に対して「移住したらどういった優遇をしてくれるの?」や「あなたたち、移住してほしいんでしょ?」といった、お客様目線の移住希望者は珍しくありません。

百歩譲って、担当者相手だけならまだしも、地域住民に対しても同様の接し方をします。

地域に新しい仲間が増えたと思っていたら、お客様扱いしろと要望してくるのです。

このような「サービス依存症」の人に移住されれば、地域住民は困惑してしまいます。

関わりたくないと思うのも無理はなく、サービス依存症が重症だと、近所からのおすそわけにも感謝が薄いのです。

おすそわけは当たり前ではなく、何かしらの形で感謝の気持ちを表すのは当然です。上げ膳据え膳のサービスを求めるなら、都会から出ないほうが良いでしょう。

移住関連の記事で「田舎に住めば、おすそわけがもらえます!」とよく目にします。

おすそわけをもらったらお返しをすることは大人として自然な対応です。

お返しといっても、近所周辺の草刈りや、相手が高齢者なら重い手荷物を運ぶのを手伝うなど、そんなことで構わないのです。

地域住民となった以上、客ではないのですから、してもらうことばかり考えず、受け入れてくれた人々の善意を大切にして欲しいものです。

忙しくて何も出来ないときもあるだろう。だからこそ常に感謝の気持ちを忘れてはいけません。

おすそわけをすることが当たり前の地域に入ったのなら、されるのが当たり前にならず、することが当たり前にならないといけません。

これも全国的に多いのですが、都会出身の自分は、田舎で暮らす人より優れていると思い、上から目線で接する人です。

実際に大手企業で実績を積んだ人もいれば、都会出身というだけで威張る人もいます。

「そんなやり方ではダメだよ。東京ではさあ、こういうやり方をするんだよ」 などと、いちいち都会出身をアピールして、一目置かれたいのです。

さらに付け加えると、口は出すが、地域行事には参加しません。「自分は知恵を出すから、知恵を出せない人が動けばいい」と言い出すのです。

そういった態度に反発する人もいれば、見下され、劣等感に見舞われる人もいます。

当人が希望する、羨望のまなざしで見る人はゼロです。 このご時世に、田舎を下に見て、自分の尊厳を維持しようとする様は非常に滑稽です。

企業の名前、企業から与えられた肩書によって、威張り散らすことができたのは過去の話であるにもかかわらず、移住してもそうした考え方を捨てきれず、未練たらしく過去の威光にすがろうとするのです。

移住する段階で、全てを捨てて一から積み上げることが嫌ならば、会社を辞めず留まればよいのです。

そうすればずっと太鼓持ちにちやほやされるでしょう。 定年した後でも「成果」をほめてほしいのならば、起業でもして自分で社長の肩書でも持てばよいのです。

会社内で大した実績を築くことができず、人望もない人ほど田舎に来てこういう振る舞いが強い傾向にあります。

素性を明かすことにより、地域住民との間に距離がうまれるのを懸念しての対応です(面倒な役を避けたいという思いもあるのでしょうが)。

人はコミュニティに属したら、その中で認められたいという承認欲求が働く。その心情は人の性ではあるが、悪目立ちをする必要はありません。

小さなコミュニティではやっかみが生まれやすく、移住者というだけで目立ってしまうし、好奇の目で見られることもあります。

都会から移住したというだけで、裕福なのではと思われているところに、上から目線で過去の話をすれば、やっかみの対象となるのは必然です。

過去の肩書で威張り散らそうとするのは、非常に器の小さい行為です。

都会での経験が本物ならば、多くを語らずとも、日々の言動の積み重ねが、周囲からの信頼になってあらわれるでしょう。

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