氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

情報力を磨かなければ命を落としかねない

終身雇用、年功序列が普通だったかつての時代は、誰もがそこそこ安定した一生を送ることができました。そういう意味では、戦後の日本はいい時代でもありました。  

学歴でほぼ一生が決まってしまうため、受験戦争は熾烈(しれつ)でしたが、そこでひとまず勝ちをおさめておけば、いい会社に入ってそれなりに出世する人生が約束されていました。  

たとえ受験に失敗して高い学歴が得られなかったとしても、終身雇用の枠組みに残りさえすれば、ほとんどの人は定年間際には1000万円近い年収を得ることができました。  

高卒で自動車の販売員からBMW東京の社長にのぼりつめ、その後ダイエーの会長などを歴任した林文子・前横浜市長のように、有能であれば学歴に関係なく勝ち上がることも可能でした。  

雇用や収入が比較的安定していたため、人々の消費も活発で、景気もよかったのです。それがバブル崩壊を経て、多くの企業が生産性を重視して、余剰人員の首を切る経営へと転換し、勝ち組と負け組の格差は拡大していきました。  

その結果、消費が冷え込み、人口減少もあいまって、生産に対して消費が少ない状態に陥りました。それでもなお、企業は生産性重視の経営を進めています。

そして雇用不安から人々はいっそう消費を切り詰め、いつまでたってもデフレから脱却できないという、ひどい社会になってしまいました。「一時期必死に勉強しておけば、それで安泰」という時代は、すでに遠い過去になりました。  

終身雇用はもはや期待できないばかりか、ひとつの会社に勤め続けたとしても、その会社がある時期から、まったく別のことをする会社に変わってしまうこともあり得ます。

有名な例を挙げると、日立造船という会社は、その名に反していまでは船をつくっていません。現在、主力としているのは環境・プラント事業です。  

最近、ソニーがEV(電気自動車)ビジネス参入を表明して話題になりましたが、この参入は無謀なことではありません。  

自動車の生産において、開発にもっとも費用がかかるのはエンジンです。  

一方、電気自動車はエンジンではなくモーターで動きます。モーターはエンジンよりもはるかに開発費用が安いので、電気自動車の生産は比較的参入が容易です。テスラのような新興の会社が、この分野で急成長することができたのもそのためです。  

電気自動車の開発は、電池部分の軽量化がカギになりますから、電池の技術が優れている日本の大手電機メーカーなら、参入にはかなり有利です。私が大手電機メーカーの社長だったら、すでに数年前には電気自動車の生産に乗り出していたと思います。  

販売は家電量販店で行えば、自動車ディーラーも不要です。たいていの家電量販店には、自動車ディーラーよりはるかに広い駐車場がありますから、その一角にブースをつくって販売やアフターサービスを行えば済むことです。  

アフターサービスさえ心配なければ、車は安く買えるに越したことはありません。いまアメリカや中国ではインターネット通販で車を購入できます。

日本でも、アフターサービスを手厚くすることで、家電量販店との差別化をはかっているジャパネットたかたのような通販会社が、車を売ってアフターサービスまで手掛けることも非現実的とは言えません。  

そのように考えれば、近い将来、ソニーのように電機メーカーが電気自動車メーカーに、家電量販店や通販会社がその販売業者になるということも、十分考えられます。  

ジャパネットたかたにしても、もともとはカメラ販売店でした。豊富な品揃えで知られるアマゾン・ドット・コムインターネット書店からスタートしています。  会社の事業内容が大きく変わるということは特別なことではなく、これからの時代はそうした変化がさらに多くの分野で起きることが予想されます。そのような変化に対応できない人は、学歴などに関係なく淘汰(とうた)されることになります。

今後、どんなスキルや能力が求められるようになるのかは、いまの時点ではまったく予測できません。  

ただ、これから多くの仕事が人工知能(AI)に取って代わられることが予測される中、価値が高くなるのはおそらく営業のスキルではないかとも考えられます。  

どんなに優秀で見た目のいい接客用ロボットができたとしても、大多数の人はロボットにセールスされるより、人間から買いたいと思うものだからです(この心理だって、将来は変わるかもしれませんが)。  

また、ものをつくる技術力よりも、消費者が欲しいものは何かを考える能力の価値が、今後いっそう高まるとも考えられます。  

あるいは突然、反AI、反機械という自然回帰のようなムーブメントが起こって、消費構造そのものが大きく変わってしまうかもしれません。  

どんな能力を備えておくのが正解かはわかりません。少なくとも、その時点で必要とされることを学習する能力があれば、どんな変化が起きても対応できます。

その意味ではやはり勉強してきた人、勉強の「やり方」を知っている人のほうが有利なはずです。残念ながら、この国は頭の悪い人、テレビが流す情報を考えなしに信用するような「情報弱者」はひどい目に遭う国です。  

テレビというのはスポンサー、つまり金持ちに握られているメディアです。当然、金持ちの味方をしています。  

売上の出どころは100%税金で、なおかつ社長が異様なほど羽振りのいい生活をしている建設・土木業の会社が、地方にはたくさん存在します。  

そんな生活ができるのは、税金から不当に利益を得ているからにほかならないのですが、テレビがそれを追及することはありません。

その一方で、公務員の給与や生活保護の受給者が増えることについては、「税金泥棒」と言わんばかりの勢いで糾弾します。  

企業がこれほど多額の内部留保を抱えている状況でありながら、テレビは消費税を上げるより法人税を上げるべきだとは言いません。  

法人税を上げると国際競争力が低下する」という論理でそれを正当化していますが、あのトランプ大統領によって2018年に法人税が引き下げられるまでは、アメリカは欧米でもっとも法人税が高く、消費税が10%を超える州もないのに、世界でもっとも国際競争力の高い国だったという事実は、そこでは無視されています。

さらに言えば、テレビは東京偏重で、「地方いじめ」を平気で行います。  

たとえば「高齢者から自動車の運転免許を取り上げるべき」とか「飲酒運転を厳罰化すべき」「(前日お酒が飲めなくなる)朝のアルコールチェックは大歓迎」といった論調を後押ししていますが、そもそも東京と地方では交通事情がまったく異なります。  

交通量や歩行者の多い首都圏で、高齢者の運転や飲酒運転の危険性が高いのは当然のことでしょう。しかし、道に人がほとんど歩いていない地方の道路で、それらの運転を同じ基準で取り締まり、そこに住む人たちの唯一の移動手段を事実上奪うことが、絶対的に正しいことと言えるでしょうか。  

ワインの産地として名高いアメリカのナパ・バレーでは、誰もが車でワイナリーを巡ってテイスティングをしています。当然飲酒運転です。1回のテイスティングで6グラスを飲めばハーフボトルになります。それを何軒も回るのです。  

地域事情に合わせてそれを取り締まらないことが可能になっているわけです。逆にニューヨークのマンハッタンでは、飲酒運転で車が没収されることもありました。それが地方自治というものなのに、日本ではそれを一切認めようとしません。  

根が深いのは、当事者である地方の住民自身が、テレビの洗脳によって「高齢者の運転や飲酒運転は悪」だと思い込んでいることです。  

飲酒運転を厳罰化するなら、飲酒運転を誘発したり、アルコール依存症(こういう人はお酒をやめられないので、飲酒運転の常習犯です)の人に悪影響を与える可能性のある酒類のCMを流すことをやめるべきだと思いますが、日本のテレビ局はスポンサーのために、世界保健機関(WHO)による再三の勧告さえも無視して酒を美味しそうに飲むシーンを含む酒類のCMを流し続けています。  

国民の大多数がテレビの信者になって、消費税は上げて法人税は下げるべきと言い、生活保護受給者は叩いても悪徳な土建屋は叩かず、高齢のドライバーや飲酒運転者は人非人のごとく責め立てて、貧乏人いじめや地方いじめに加担する。それがこの国の現状です。

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