氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

インフレは「勝ち組」と「負け組」を気まぐれに生む

たびたびニュースを騒がせている「インフレ」。実は日本では実に40~50年ぶりであることをご存じでしょうか(日本のバブル期には資産価格は上がったが、物価はほぼ上がらなかった)。インフレを経験として知っている人は少ないのです。

そんななか、これから物価が上昇していく時代に突入しようとしています。

インフレはいわば、一部の人たちから資産をむしり取り、残りの人たちに分配する、気まぐれで不公平なメカニズムなのです。  

特に大打撃をこうむりやすいのは、限られた現金しか持たない人々、つまり貧困層や年金受給者たちです。

貯蓄を「保護」するための金銭的な余裕や知識に乏しいからです。  

一方、政府、住宅購入者、一部の企業など、借り入れの多い人々や組織は最終的に勝ち組に回るかもしれません。

借り入れコストは上昇するとしても、負債が増加中の所得と比べて相対的に目減りしていく可能性が高いからです。

いつでもストライキを実行できる労組加入の労働者も、「インフレ率を上回る」賃上げの交渉に成功することが多いです。  

逆に、個人事業主や零細企業の労働者は、賃金の伸びがインフレ率に及ばない可能性が高いでしょう。

支配力を持つ企業は、コストの増加分(やそれ以上)を気安く顧客に転嫁できますが、そうした企業への供給業者や、競争の激しい環境で働く人々は、より厳しい状況にさらされると考えていいでしょう。  

どの社会にも、少なくとも相対的な意味での勝ち組と負け組が存在します。ある程度までなら、このプロセスは理解できるし、許容もできます。

ほとんどの人は、イーロン・マスクジェフ・ベゾスが貯め込んだ財産にやきもちを焼いたりはしないでしょう(国家を食い物にする独裁者が貯め込んだ資産には抗議の声を上げるかもしれないが)。  

また、私たちはしぶしぶとはいえ、一部の業界やその労働者たちが苦境に陥るのはやむをえない、とも認めています。

そして、計画経済における公有化から、自由市場経済における臨時課税や給付制度まで、国家干渉を通じてこうした富、所得、機会の不平等の影響に対処するよう期待するのです。

しかし、インフレは、勝ち組と負け組をずっとランダムで気まぐれに生み出す手段といえます。

一言でいうなら、きわめて非民主的なプロセスなのです。

ジョン・メイナード・ケインズ(1883~1946)がヴェルサイユ条約の交渉中にこう主張した1つの理由もそこにあります。  

レーニンはこう語ったと伝えられています。資本主義を破壊する最善の方法は、通貨を堕落させることだと。政府はインフレを継続することで、密かに、気づかれることなく、国民の富のうち、かなりの部分を没収できる。  

レーニンが実際にそう主張したのかどうかは、この際どうでもいい(彼の好む革命活動のやり方は、暴力と印刷機の組み合わせだったようです。データの入手は困難だが、新生ソ連のインフレ率は天井知らずだったと思われる)。  

また、民主主義国ではインフレという道を選択した政権が選挙で退陣させられる可能性がある、という事実をレーニンが正しく認識していたのかどうかは、永遠にわからずじまいでしょう。  

それでも、十中八九つくり話であるこのエピソードには、一抹の真実が含まれます。

インフレは事実上、富に対する隠れた税金として作用し、政府財政にとっての救世主になりうるのです。  

特に影響を受けやすいのは、貯蓄を現金や低利回りの国債という形で保有する人々です。現金や国債を持っていたところで、実物資源に対する請求権は日に日に目減りしていくだけだからです。  

逆に、政府の財政は改善していき、インフレ率が金利を上回っている(つまり、いわゆる「実質」金利がマイナスである)かぎり、既存の国債の価値は「インフレ」を続ける国民所得と比べて相対的に下落し、その国債の利払いの負担がどんどん軽くなっていくためです。  

このようなインフレを悪用した富の収奪の例は山ほどあります。

その多くは、政治的な目標や制約が経済的・外交的な現実とぶつかる状況と結び付いています。  

第一次世界大戦後のドイツとオーストリアハイパーインフレや、アルゼンチン歴代政府と国内外の債権者とのあいだの数十年来の闘争はその最たる例でしょう。

これらのエピソードの多くが明かすのは、インフレは緩和的すぎる金融政策が賃金や物価の上昇を招く単なる技術的なプロセスとは程遠いものである、という事実です。  

短期的な政治的観点から見れば、インフレは一種の逃げ道とみなすことができます。

いわば、貯蓄を持つ人々に対して「こっそりと」課税する手段だといっていいのです。

エドマンド・ドゥ・ヴァールが著書のなかで印象深く描いているように、ウィーンのエフルッシ家(もともと黒海での穀物貿易で財をなし、西ヨーロッパに移住したユダヤ人の財閥)は、財産の大部分をオーストリア=ハンガリー帝国の戦時債券に投資し、新たな母国への愛国心を形で示しました。  

しかし、第一次世界大戦後、インフレによって債券が紙切れ同然になると、ウィーンのエフルッシ家はほぼ無一文になってしまいます。

さらに悪いことに、エフルッシ家が示した金銭的な愛国心は、1920年代になると何の価値も持たなくなりました。

悲劇的なことに、ヨーロッパの大部分で反ユダヤ主義が政治的に有効な選択肢となってしまったからです。

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