氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

「勝ち組でいたい」に縛られる人が行き着く場所 

昨今、SNSなどを中心にしばしば話題になる「勝ち組・負け組」論争。何をもって勝ち組とするのか、気になる人も増えているかと思います。  

しかし、哲学の構造主義を知ると、この「勝ち組・負け組」という分類自体、幻想だと思えてくるかもしれません。   

人生はやっぱり勝ち負けがありますよ。俺は絶対に勝ち組に入ることに意味があると思います。

仕事で大成功をして、資産を築いて、タワマンに住んで、高級車に乗って、モテモテで……そんな資本主義社会の勝者を目指します。

それはもしかすると騙されているのかもしれません。あなたの考えているような勝ち組・負け組というものは、実は幻想かもしれません。

私たちは自分の自由意志で物事を決定し、行動していると思っていますが、実はそれは社会の仕組みによって規定されているだけなのです。『勝ち組に入らなければいけない』などの価値観も刷り込まれたものかもしれません。 

そもそも、年収いくらだと勝ち組なんでしょう。1000万円以上?  1億円以上?  あるいはアメリカの成功者のような天文学的な金額ですか? 

おそらく、あなたは勝ち組がどのようなものかを決定することはできないと思いますよ。ちょっと別の例で考えてみましょう。あなたは、お湯と水をどこで線引きしますか?

30度はけっこうなまぬるいですけど、水というには温かいですよね。  

こういった分類において重要なことは、『Aは○○である』という定義そのものではなく、『AとB(ほかの物事)との関係性』なのです。つまり、『これがお湯だ』とは、実は明確にいえず、確かなのは『お湯は水よりも温度が高い』ということだけです。 

勝ち組・負け組も同じことです。いったいなにをもって『俺は勝ち組だ』といえるでしょうか。実は、社会の関係性(構造)からすると、そんなものは線引きができないのです。

あなたは『タワマンに住んでいたら勝っている』という架空のフィクションのなかに生きているのかもしれません。

レヴィ=ストロースという文化人類学者は、未開社会のなかで未開人と一緒に生活していたフランスの文化人類学者・哲学者なのですが……。

クロード・レヴィ=ストロース(1908~2009) フランスの文化人類学者・哲学者。先住民の生活について研究した。主な著作は『悲しき熱帯』など。 

しかし、彼がさまざまな未開な民族社会の親族関係・婚姻関係を調査したところ、一見無意味に思える未開社会の婚姻関係のしきたりのなかにも、実は高度な構造が関係していることがわかったのです。

つまり、未開社会のほうが遅れているという風に一概にはいえないわけです。

構造主義とはレヴィ=ストロースの登場で、大きな思潮となった人文・社会科学の方法論・思想的運動のことをいう。

レヴィ=ストロースはさまざまな神話のなかに、「昼・夜」「森・家」「同世代・各世代」「男・女」「能動性・受動性」「液体・気体」などの相関性があることに目をつけた。

さらに、荒唐無稽に見える神話や婚姻関係に、高度な数学的ルールが働いていることを発見した。これによって、いわゆる「未開社会の迷信」とされていた思考が、実は高度な抽象的論理を駆使しているということがわかった。

この発見は、西欧中心の進歩主義の批判につながった。ちなみにレヴィ=ストロースは、先住民たちの習俗や儀礼やさまざまな神話が、野蛮で未熟なものではなく、精密な論理的思考にもとづいていることを発見し、これを「野生の思考」と呼んだ。

勝ちにこだわるべきという考え方もまた、永久に続くという保証はないということです。たとえばですが、あなたは、タワマンだと1階と高層階とどっちに住みたいですか。 

高層ビルの低層階のほうが下に降りやすいから、本当は便利ですよね。それでも上のほうがいいというのは、なにかの無意識的な思い込みなのかもしれません。価格も幻想かもしれませんよ。  

確かに低層階のほうが便利なところもあります。でも建物の高さに勝ち組のシンボルが象徴されているのではないですか?  

あなたは、それを信じているわけです。しかし、レヴィ=ストロースによって『西欧社会のほうが未開社会より進んでいるはず』という従来の価値観が見直されたように、『高層階のほうが偉い』という価値観だって、いつ逆転するかわからないということです。

だから、将来、社会が変化すると、勝ち組と思われていた人が負け組で、負け組と思われていた人が勝ち組になっていたという現象が起こるかもしれません。

あんまりステータスにこだわっても、それは構造に影響を受けて、将来変化してしまうかもしれないということです。

根本にある構造と表面的な変化 レヴィ=ストロースによれば、根底にあるルールは変わらずとも、表面的なものは変化するとされる。  

構造主義は、1960年代に登場して、フランスを中心に発展した思想です。構造主義を誰が唱えたのかという線引きをすることは難しいのですが、言語学者ソシュールによる「構造言語学」に影響を受けた文化人類学者のレヴィ=ストロースによって、一気に広まった思想であることは間違いありません。  

レヴィ=ストロースは、先住民のなかに飛び込んで親族関係や神話などの研究をしていました。そこで親族関係の構造分析を通して、未開と呼ばれる社会にも、文化と自然を調和させる仕組みや独特の思考法があることを発見し、それを「野生の思考」と名づけました。     

そもそも、構造主義の「構造」とはなんなのでしょうか。レヴィ=ストロースが「構造」のヒントを得たのは、ロシア人言語学者ロマーン・ヤコブソンの音韻論です(ヤコブソンは、ソシュールが提唱した構造言語学の原理を発展させました。

ヤコブソンによると、言語はそれ自体が本来的に意味をもっているのではなく、発音と言葉の関係によって意味が生まれているそうです。 

たとえば「r」と「l」という音はまったく違った発音をされるので、英語ではrice は「米」ですが、lice は「シラミ」を意味します。

しかし、日本語ではrとlの区別がないので、「ライスをください」といえば、それは「米」以外なにものも意味しません。

このように、言語が異なれば音素とそれが指す内容の関係も異なるというわけです。このような関係性を「構造」といいます。

構造は表には見えてきませんし、無意識的に潜在しているという特徴をもちます。

レヴィ=ストロースは自然学者トムソンの説も応用します。トムソンによると、魚の形を座標に乗せて、その座標自体を変形するといろいろな種類の魚の形になるといいます。

魚のイラストを上下左右に縮小拡大するイメージで、たとえばフグの座標を変形するとマンボウになります。  

このように、あらゆる出来事は変化していきますが、その「構造」(この例でいうと、魚の形の関連性)は維持されます。

レヴィ=ストロースは、この「構造」の考え方を未開社会に適応したのです。

レヴィ=ストロースにより、未開の社会における親族・親戚・婚姻などの関係は、西洋におけるそれと「構造」という観点では変わらないことがわかりました。  

彼は「野生の思考」とはすなわち具体の科学であって、今までの「近代的思考だけが理性的だ」という先入観を批判しました。自民族中心主義にかたよった西洋の世界観・文明観に根底的な反省を促したのです。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村