少子化が進む中、グレーな手段で学生を集めて国から補助金を受け取る一部Fランク大学の存在意義を問い直します。
中には法的にグレーだと認識しながらも、際どい手法で入学定員を満たしている大学もあります。
「うちの大学は近隣の日本語学校と組んで、卒業したばかりの外国人を数多く入学させています。彼らの大半は出稼ぎのため来日しているので、ほとんどは大学に通わず学生ビザを使って不法就労していると思われますが、定員を埋めてくれるのでむしろありがたい存在です」(都内のFランク私大に勤めているC氏)
2019年3月に報じられた東京福祉大学の問題も、根本は同じだと言えるでしょう。同大は2016~2018年度に1万2000人もの留学生を受け入れていたが、そのうち1600人が所在不明になっていると発覚。
大半が形だけ学生の身分を保持しながら、国内の工場などで不法就労していたと見られています。
Fランク大学がこうまでして学生を確保しようとする目的のひとつは、ずばり補助金を受け取ることです。
毎年、文部科学省から各私大を運営する学校法人に交付される「私立大学等経常費補助金(以下、私学助成金)」です。
年間の総額が約3000億円にものぼるこの助成金は、教職員の給与をはじめ大学運営に欠かせない必要経費を支援する「一般補助」と、特定の改革に取り組む大学に支払われる「特別補助」に分けられます。
前者の金額が定員充足率や教員数などをもとに算出されるのに対して、後者は留学生の受け入れ体制の整備や外国人教員の比率を上げるなど、特定の項目を満たすと交付額が増える。 学生や留学生をかき集めれば、多額の私学助成金を受け取れる――本来であれば国立大学と私立大学の教育格差を埋めるための補助金が、経営の苦しい私大に注ぎ込まれているのです。
実際に昨年度の交付額を見ると、全体の1割弱に当たる約230億円がFランク大学に交付されています。
さらに政府の方針に沿った学部や学科を新設すれば、私学助成金以外にもさまざまな補助金が獲得できます。
私大にとっては定員を増やして事業を拡大するチャンスであるうえ、国から資金援助まで受けられるのです。
昨年7月に文部科学省は、デジタル・グリーン分野等に特化した学部を整備する大学に対して、最大で20億円を交付する新事業を立ち上げ、私立大学55校が支援を受けました。
そのため『データサイエンス学部』などの横文字の学部学科が、いま日本中で必要以上に新設されています。
こういった補助金を獲得するためには複雑な制度を熟知している有能な職員が必要だが、その絶対数は限られている。
そこで多くの私大が頼るのが、文部科学省からの天下り職員です。
助成金の申請を有利に進めるため、うちの大学も文科省からの天下りを2人受け入れています。ただし大学の格によって天下りのランクも決まるようで、うちに来るのは文科省の中でも高卒のノンキャリです。
実際のところどれほど役に立ったのか微妙ですが、文科省へのパイプを確保しておくメリットは大きいのです。
そうやって天下りを受け入れ続けた結果、文科省の「牙城」となった大学もあります。
その一つである東京の目白大学は、2013年には6人もの文科省OBが在籍し、理事長や専務理事、事務局長などの要職を占めていました。
彼らは理事の定年制を作って創業家を追い出したにもかかわらず、自分たちはそれを無視して居座り、現在も5人の天下りがいます。
そのうえ『ライフプラン』と称して教員らの給与を無理やり削減し、裁判へと発展しました。7月には高裁判決が出ましたが、もちろん教員側が勝利しています。
教育界では絶大な影響力を誇る文科省だが、霞が関での地位は低いとされ、政治力が強いわけではありません。
そこで中には省庁を飛び越えて、政治家と直接パイプを築こうとする私大も現れます。
とくに文科行政に大きな影響力を有する自民党の「文教族」たちは、過去にもさまざまな大学で客員教授などを務めてきました。
たとえば自民党の萩生田光一氏は落選中の2010~2012年、ボーダーフリー大学である千葉科学大学で客員教授を務めており、その後の2019年には文部科学大臣に就任しています。
同大を運営しているのが、2017年に世間を騒がせた学校法人加計学園です。
事の発端は2015年、第三次安倍政権下で愛媛県今治市が国家戦略特区に指定されたことでした。
獣医師の増えすぎを防ぐため、獣医学部の新設は長年にわたって制限されていましが、今治市に限ってこの規制が撤廃され新設が可能になり、加計学園が運営する「岡山理科大学」の獣医学部が2018年に開設されると決まります。
その背景にあったのが、加計学園の理事長だった加計孝太郎氏と安倍晋三元首相の「個人的なつながり」だと言われます。
2人は40年来の友人であり、今治市が国家戦略特区に指定される際、この関係性が後押ししたのではないかと批判が起こりました。
つまり「首相と個人的に親しい人物が経営する学校法人が、その人脈を背景に国から優遇措置を受けた」という構図だと言えるでしょう。
この件が厳密に法的に問題だったとは言い難いです。
しかし政治家との個人的なつながりが背景にあったことへの不公平感は強く、倫理的には不適切でした。
ここまで見てきた文科行政の問題についても、手続きを踏まえたうえで文科省OBが私大に天下ること自体は決して違法ではないものの、あくまでもプライベートな法人である私大が政官と密接に結びつき、「公と私」の境界が曖昧になっていくのは、あるべき姿とは言えないでしょう。
慶應義塾の創設者である福沢諭吉は、学問の独立が時の政権によってゆがめられるのを防ぐため、大学などの教育機関が政府と過度に密着してはいけないと主張していました。彼の警告は、現代でも重要な意味を持っていると思います。
これまで日本人の多くは、「大学はルールとモラルに沿って適切に運営されているはずだ」という性善説の立場に立ってきました。
いくら私立とはいえ、大学が公的な教育機関という役割を放棄するはずがない――しかし、そうした常識が通じない私大も一部には存在するのです。
このままビジネス志向で経営される私大が日本中で増え続ければ、文科利権とさらに強固に結びつき、不必要な大学や新設学部に税金が注ぎ込まれるおそれもあります。
10年後には大学全入時代がやってきます。大学本来の役割とは何なのか、日本人はあらためて考え直すべきでしょう。