氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

再開発で東京に「貧しい日本人」を排除する商業施設が増える

多くの再開発が進行しているが、それらに「開放性」はあるのでしょうか? 

むしろ、その施設の多くは「富裕層」や「訪日観光客」しか見ていないのでは? とさえ感じられるのです。

例えば、顕著なのが渋谷で、現在100年に一度の大規模な再開発が進行中ですが、そこで誕生している多くのビルは、上層階はオフィスで関係者以外の立ち入りができず、低層階には高級なショップやレストランがぎっしり……というものです。

オフィスでない場合は、高級なホテルが入っている場合も多いのです。

実際、渋谷再開発を進める東急は、「渋谷をクリエイティブワーカーの聖地に」という掛け声のもと、渋谷をそれまでの若者の街から「オトナな街」にしようとしています。

また、同時に渋谷はインバウンド観光客が最も訪れる街でもあり、そこにインバウンド向け施設を増やす選択をしているのでしょう。  

こうした「高級化」の余波として起こっているのは、渋谷の街に滞留できる空間が減ってきていることです。

渋谷のチェーンカフェが週末ではどこも混んでいることは、こうした再開発によって街が高級化し、ふつうの人々が滞留できる空間が減ってきていることを表しています。

都市論の言葉ではこうした街の高級化を「ジェントリフィケーション」といいますが、まさにジェントリフィケーションが進んでいるのが渋谷なのかもしれません。  

その点で、渋谷ではどこでも、だれでも座れる空間の減少が顕著に起こっています。

お金を払わないと、座ることすらできなくなっているのです。

東急の事案ばかりを取り上げるのも何だか忍びないが、新宿に誕生した東急歌舞伎町タワーを見たときも、同じようなことを思いました。  

ここは地上225m、地上48階という複合商業施設で、ゲームセンター・namco TOKYOや、映画館の109シネマズプレミアム新宿などが入居します。

さらに高層階には2つのホテルがテナントとして入り、インバウンド向け施設という側面もあります。ここを訪れると気付くのは、館内全体の「インバウンド向け」感です。

低層階に入る飲食街「新宿カブキhall~歌舞伎横丁」は、北海道から沖縄に至る日本全国の名物が食べられるようになっており、そのケバケバとした装飾を含めて、明らかに「日本的なるもの」を押し出しています。  

それに、建物には全体的にネオンが輝いていて「ネオ・トーキョー」的な雰囲気もある施設になっています。  

施設としても、高層階は2種類のホテルが入っており、一大観光地である歌舞伎町を目当てにやってきたインバウンド観光客のための施設、という印象を受けます。  

そのコンセプトといい、内容といい、全体が「インバウンド向け」になっています。

東急自体は明言しないだろうが、どこか「日本人お断り」の感さえ受けてしまいます。

興味深いのは、こうした近年の再開発のコンセプトではしきりに「多様性」が叫ばれていることです。  

東急歌舞伎町タワーのホームページによれば、この施設は『極められたさまざまな「好き」の想いとともに街の未来や文化、延いてはさらなる多様性を紡いでいくこと(MASH UP)を目指します』とのこと。

あるいは、森ビルが2023年に完成させた「麻布台ヒルズ」もそうだ。そのロゴデザインは「様々な人々や価値観を受け入れて、時の経過とともに多様性を増しながら育まれる街のロゴ」らしいのです。

まあ、近年の再開発事案のコンセプトではだいたい「多様性」という言葉が入っているし、とりあえず「多様性」という言葉を入れておけば、「なんかいい」感じになります。  

とはいえ、そうしたビルの多くが、高所得者層やインバウンド需要に対応した施設になっているのは皮肉な話で、こうした施設は北海道の観光地・ニセコと同じようなものなのかもしれません。

ニセコは現在、外国人観光客から絶大な支持を集めており、徹底的に外国人富裕層に向けて空間作りが行われています。

そこに行けば商品やサービスの値段は「ここ日本かよ?」と思ってしまうような値段ですし、街の看板は英語だらけです。  

ニセコが観光地の成功理由を、外国人富裕層に「選択と集中」したことに求めています。

ニーズが多様化・複雑化する現在、そのようなセグメンテーションは、ある商業施設なり観光地が成功するのに必須でしょう。ニセコはその成功をわかりやすく表していますが、いわば、東京は「ニセコ化」しているのではないか?   

もちろん、そうした富裕層向けのセグメンテーションは必要で、儲けることを否定しているわけではありません。  

ただ、その結果として、「とりあえず多様性」「とりあえず富裕層向け」「とりあえずインバウンド向け」といった同じような場所ばかりになってしまうと、庶民はどこへ……となってしまうのです。  

この「ニセコみたいな場所ばかりができてしまう」ことに対する違和感で、「金太郎飴」のようなビルばかりが誕生してしまっている、多様性のなさへの違和感なのです。

ちなみにそうした「多様性」の象徴だろうか、そこにはGRAND GREENと同じように存分に緑がある。森ビルは六本木ヒルズからの再開発のたびに、それぞれの施設の緑化面積を増やしている。六本木ヒルズの緑化面積が約1万9000㎡なのに対し、麻布台ヒルズの緑化面積は約2万4000㎡です。  

ただ、そこがGRAND GREEN OSAKAのような開放性のある緑なのかというと、疑問がついてしまいます。

芝生はあるにはあるが、養生中の場所も多く、寝っ転がっている人は見かけられません。また、座る場所はいすで細かく指定されていて、視界に入る景色も高層ビルばかりでどこか圧迫感があります……。

自然と人間の関係を「機能的価値」だけで捉えることに問題があります。「機能的価値」とは、植物があることによってCO2がこれだけ減る……といった数字で表せるような自然の価値のことです。

ただ、考えればわかるように、自然とはそうした数字で表せるだけでなく、もっと情緒的な価値を持っている。「ただあればいい」ものではありません。  

緑を建物に取り入れる際には、そうした人間の情緒的な側面までを踏まえてそこがデザインされる必要があるのだ。

その意味でも、正直、麻布台ヒルズにある緑は「あればいいんでしょ」といった感じを受けてしまうのです。  

最近の東京の再開発のもう一つのテーマが「自然」かもしれません。実際、そこには多くの自然があったりしますが、それらがどこか堅苦しい感じを持っているのは、その自然が機能的価値のためだけに植えられている例も多いからです。

その点でも、東京の再開発の「金太郎飴」感が否めないのだ。

GRAND GREEN OSAKAがその点で興味深いと思ったのは、大阪駅前のあの場所で、いわゆる他の再開発ビルと同じようにならずに、広大なスペースを生かすような再開発を行っていることです。

もちろん、「専門家」の目からすれば、東京にあるさまざまな再開発ビルもそれぞれ違いがあるのでしょうが、おそらく一般人の目からはわからない。そうした小さな違いではなく、見た目に「ぜんぜん違うものができたなあ」と思う再開発事例が誕生したことが興味深いのです。

それは、再開発で仕切りに言われる「多様性」に確かに貢献している。その街にないもの・足りないものを補完してくれるからです。

「その街にないものが生まれる再開発」こそが、進むべきだと感じます。  

実はこの点でいえば、東京にもそうした再開発事例がないわけではありません。

例えば、今年開業した「SHIBUYA SAKURA STAGE」。この低層階には、松屋やマック、カルディ等々、比較的、庶民派な店が揃っています。

渋谷の再開発で生まれてこなかったものが生まれているようにも感じます。

東京・大阪に限らず、こうした再開発が増えれば、おのずと街の「多様性」は生まれてくるでしょう。

個々の再開発事例は開発のスキームや規模感も異なるから、それを一様に比べることに無理があるのでは、という意見が出てきそうです。たしかに、都市論関係者の間での話ならばその違いを見るのも重要です。  

しかし、あくまでもできてしまった施設は、その街に暮らす人やそこに訪れる人からすれば、同じ建物でしかなく、開発主体がどうだとか、なんだとか、関係ないのです。

今後も、東京ではさまざまな再開発が進んでいき、いくつかの事例を見ても、やはり「金太郎飴」感から脱していないような、「高層ビル」「富裕層向け」「インバウンド向け」の施設が目立ちます。  

例えば、東京駅前にできる予定の「トーチタワー」、高層階にホテル(しかも、ウルトララグジュアリーホテルらしい)、低層階に高級そうなショップ、そして適度な緑地……というお馴染みの構成だ。この時点で、多くの庶民である市民には、「名前を覚える必要のない施設」と言って良さそうです。  

こうした再開発が街にどのような影響を及ぼすのか、それはまだ誰にもわかりませんが、その街の「多様性」を本当に考えるなら、違う道もあることに気が付くときがそろそろ来ているのかもしれません。

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