遺品は故人の生き方を反映します。大量のものに囲まれて一人で亡くなられた現場を見ると、「親子関係は良好だったのだろうか」などと、つい生前の暮らしぶりに思いをはせてしまうのです。
誰もものを持っては逝けません。形はさまざまだが、結局のところ、最後は誰もが「身ひとつで逝く」。
高齢者に限らず、日本の社会では、とにかく「一人暮らしの人」が増えている状況がある。独居世帯は1400万世帯にものぼるとされています。
これには、生涯未婚率(50歳時で一度も結婚をしたことのない人の割合)が高くなって結婚しない人や、結婚しても熟年離婚する夫婦が増えたことも影響しているでしょう。
一人暮らしそのものが悪いわけではありませんが、問題はその先の「孤独化」です。居住地域において「見守り」が行き届いていればいいですが、そんな地域ばかりではありません。
地域コミュニティから孤立したまま老齢となり、今後も将来にわたって一人暮らしのままならば、やがて本当の意味で孤独化していくことになります。
特に、都市部やその周辺では、単身者がワンルーム形式のマンションなどに住むことも多いのです。
こうした住居形式では、ドアを閉めていれば誰とも顔を合わせることがなく、他の住人と交流するスペースもないのが普通です。
いまや多くが室内に内風呂が付いているので、銭湯の行き帰りに地域の人と会うこともありません。
若くて元気なときはまだいいですが、やがて年を取り、健康に不安を抱えるようになったとしたら……。
社会生活を送り、周囲とコミュニケーションを取りながら暮らしていたのが、その機会が減り、それとともに社会に適応していく能力そのものを失っていく、そんな高齢者が、どんどん増えています。
それが現代日本の大きな問題ではないでしょうか。
高齢化が進んだ社会というのは、「亡くなる人間が多くなる社会」です。
死者の数それ自体が増える時代ともなれば、「どんな死に方をするか」にも注目が集まって当然です。
少子化で子どもが少なくなり、独居高齢者が増え、地域コミュニティが消失した社会の中で、いわゆる「孤独死」も増加しています。
そうした状況を行政は必ずしもカバーできていませんn。
日本は毎年2万以上の人が自殺しますが、それに匹敵するか、それ以上の人数が孤独死する国でもあります。
孤独死は、『広辞苑』によれば「看取る人もなく一人きりで死ぬこと」とされています。要介護になって誰かのお世話になっていれば孤独死はできないから、見方を換えると、亡くなるそのときまで自立して生活できる高齢者が多いというポジティブな側面もあります。
そのため最近では、「孤独死」という呼び方ではなく、「孤立死」とか「独居死」とする向きもあるようです。
マイナスイメージを払拭しようという意図が感じられます。
孤独死の数は、きちんと統計が取られているわけではありません。
誰にも看取られずに息を引き取り、周囲に気づかれずに放置されていたという死に方には、突然の心肺停止もあれば自殺や餓死なども含まれ、明確に分類できないようなケースもあるからでしょう。
それでも、東京23区で4500人、全国で3万人以上などといわれ、その数が年々増えていることは確かです。
誰にも気づかれずに、死んだことを知る人もなく、ひっそりと一人でその生涯を終えます。
孤独死、あるいは自殺──。