AI時代の日本がどうなるのか、考えられる未来予想図は2つあります。
ひとつは、誰もが労働から解放される「楽園」です。多くの人がAIに仕事を奪われる代わりに、ベーシックインカムが導入されて、すべての人に最低限の所得が保証され、働かなくても食べていける未来です。
労働はすべて奴隷に任せて(女性は働かされていたようですが)、市民は哲学的思索と議論だけしていればよかった古代ギリシャのようなものです。しかもその奴隷が人間ではなく、AIを搭載したロボットになるわけですから、人道的と言えるでしょう。
もうひとつは、AIの上に立つ人間と、AI以下の働きしかできない人間の格差が残酷なまでに拡大する「超格差社会」です。
実は、バブルがはじける前の日本は、前者に近い社会でした。当時の日本は、オートメーション化により工場の生産性が世界でもっとも高い国でした。同時に従業員の終身雇用が普通でしたから、業務の機械化が進むほど従業員はラクになったのです。
しかし1990年代後半以降、機械化で余った労働力はリストラの対象とされるようになりました。そして格差が広がってきたのです。
さて、これからの日本は「楽園」と「超格差社会」、どちらの未来へと進むのでしょうか。
この国の将来に関してきわめて悲観的で、この国の多くの人がテレビに洗脳されているからです。
そもそも、地上波のテレビ局がたったの6局しかなく、それ以上は増やさないというガチガチの規制をしている国は、世界の先進国では日本くらいです。
その6局すべてがニュースで同じことを言っています。それを聞いて、多くの人は「どこも同じことを言っているのだから、本当のことなんだろう」と認識します。
しかし、ある程度の情報リテラシーがあれば、「全局が同じことを言っているということは、すなわち情報操作されている」と考えるのが自然です。警察の記者クラブから発表されたことを、全局がそのまま流しているということです。
局の収入が同じなのに、取材をすればするほど、取材経費がかかるのですから、自分たちの年収を守るためには、記者クラブ情報を垂れ流したほうが、得だからです。
だからこそ、冤罪(えんざい)の可能性が濃厚な容疑者に対して、弁護士側への取材もないまま、極悪非道の罪人と決めつけた報道が全局で盛んに流されるということが起きるのです。
最近はインターネットテレビ局も勢いをつけてきているとはいえ、現在のところはまだまだです。もしネットテレビで番組をつくるとしたら、地上波のテレビ局が流さない「本当のこと」がわかるニュースショーを企画したほうがよいです。
現時点では、そのようなYouTubeを続けています。影響力はまだまだですが。
たとえば、韓国や台湾ではパチンコの換金は法律で禁止されているということを、どれだけの人が知っているでしょうか。日本では、これを口にするとテレビのコメンテーターを干されるので、誰も口にしません。
日本はテレビによって、「情報鎖国」と言っていい状態になっています。この状態が続く限り、たとえ将来、海外でほとんどの国がベーシックインカムを導入したとしても、その情報は多くの日本人の耳には届かないはずです。
そして、テレビが扇動する「働かざる者食うべからず」の論理にしたがって、「AIに代替されて失業した人は自己責任」という世論が形成されていくでしょう。
最終的に、他国がベーシックインカムで暮らせる国になっても、日本だけは失業者は自己責任で、生きるためには「殴られ屋」か売春婦にでもなるしかない国になると思います。
生活保護費の対GDP比率が、OECD加盟国中で最低レベルであるにもかかわらず、生活保護費を出し過ぎているとテレビが報じ、コメンテーターが同調して受給者バッシングが起きる国ですから、そうなるのは必然とも言えます。
AIによって失業した人が、路頭に迷ってうろうろしていたら、「勝ち組」の人間から「1000円やるから一発殴らせろ」と言われる。
食べるために言うことを聞いて、大けがをさせられ、本来なら傷害罪で訴えることができるのに、法律を知らないために「金を払っているから示談が成立している」と丸め込まれる。
挙句の果てに「まさか生活保護を受けて、俺たちの税金で食う気じゃないだろうな?」と恫喝(どうかつ)される。それがAI時代の「負け組」の末路です。
ものを知らないと、どこまでもみじめな目に遭い続けることになります。生活保護は本来、憲法で守られた国民の権利ですし、消費税が導入されて以来、税金を払っていない人はほぼ皆無です。
にもかかわらず、「勝ち組」の振りかざす論理に反論できず、言いなりになるしかありません。
アメリカなら失業しても、対GDP比率で日本の3倍近い生活保護費が支給されている上に、うなるほどある寄付財団が救いの手を差し伸べてくれます。
イスラムの国では、ラマダン(断食月)の時期には貧者に対して積極的に寄付や施しが行われます。
これほど弱者や貧しい人に厳しい国は、日本しかないと言っていいくらいです。この国では、「勝ち組」にならないと大変なことになります。唯一の救いは、多くの人が勉強していないので、少し勉強するだけで「勝ち組」になれることです。
AIが人間に代わってほとんどのことを行うようになる。それは、言ってみれば誰もが「ドラえもん」を持つようなものです。
自分では働かない「のび太」が、ドラえもん=AIに「これが欲しい」と要求すれば、それで何でも済んでしまうということです。
しかし、『ドラえもん』という物語において、重要な役割を果たしているのは、何でも出せるドラえもんより、むしろのび太のほうです。もし、のび太がつまらない人間だったら、あの物語は成立しません。
「こんなものを出してほしい」というのび太のリクエストがユニークだからこそ、話が面白くなるのです。
AIの時代に価値が高いのは、要求に応じてものをつくる「ドラえもん」的な人よりも、「これをつくれ」と要求する「のび太」的な人です。
IT時代にその最初の体現者と言っていいのが、スティーブ・ジョブズです。
彼が自分自身はITオタクでも技術者でもないのにアップルを創業して、大成功を重ねてきたのは、「こんなものをつくってほしい」と思いつく、自分のその発想力に自信を持っていたからです。