氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

認知症予防に「脳トレ」は意味がなかったという「驚きの事実」

どれほど医学が進歩しても、人間は不老不死を得ることだけはおそらくできません。そうである以上、しかるべきタイミングがやってきたらそのときは自分自身の老いと向き合う必要が当然あります。

近年、「脳トレ(脳力トレーニング)」と呼ばれるトレーニングメソッドが、脳に刺激を与えボケ防止に役立つということでブームになっています。

ただこれは残念ながら、認知症予防という観点からはほとんど無意味だということが、最近おこなわれた海外の研究で明らかになっています。  

脳トレにおいては、簡単な四則計算を20問あるいは100問など解いてそのスピードを上げることをめざしたり、数字のパズルである「数独」を解いたり、あるいは名作文学を音読することが脳に刺激を与えるとして推奨されており、これらの問題をまとめてゲーム化したニンテンドーDSのソフトが大ヒット商品になりました。  

ただ『ネイチャー』や『JAMA』(アメリカ医学会雑誌)のような超一流の医学誌に、この効果にまつわる大規模調査の結果が発表されています。  

そのうちの一つ、アラバマ大学のカーリーン・ボールによる2832人の高齢者に対する研究では、たとえば言語を記憶する、問題解決能力を上げる、問題処理の能力を上げるというようなトレーニングをさせた場合、させた群については、練習した課題のテストの点だけは上がるのですが、波及効果、つまりほかの認知機能がさっぱり上がらないことが明らかにされています。  

つまり、これらは与えられた課題のトレーニングにはなっても、脳全体のトレーニングにはまったくなっていないことが確認されたというのです。  

毎日頑張って脳トレに取り組むくらいなら、むしろこれまで日常生活のなかでおこなっていたことをレベルを落とさずにつづけるほうが認知症の進行を遅らせるにはよほど役立ちます。  

外で仕事をもっているならその仕事をつづければいいでしょうし、主婦だったら今までもやっていた家事をこれまでどおりつづけて、料理ができる能力を保ちつづけることをめざしたほうがボケ防止の役には立つでしょう。  

東京・杉並区の認知症患者たちにくらべて鹿嶋市認知症患者の進行がかなり遅く、症状がめだたないということでした。  

それがなぜなのか最初はとても不思議でしたが、杉並区と鹿嶋市の高齢者が置かれている生活環境を見比べているうちにおおよその見当はつきました。

杉並区の高齢者たちは認知症になるとその多くが家に閉じ込められるのに対し、鹿嶋市では認知症になった高齢者でも比較的気ままに近所を歩き回らせることが多かったのです。  

また、鹿嶋市では出歩いた認知症高齢者が結果的に道がわからず家に帰れなくなっていると、すぐに近所の誰かが見つけて連れて帰ってくれるのであまり困った事態にはなりませんでしたし、農業や漁業の従事者に関して言えば、認知症が発症してもそれまでと変わりなく仕事をつづける人も少なくありませんでした。

こうした環境が、進行を大幅に遅らせていたのはおそらくまちがいありません。  

今でもある人に認知症が発見されると、周囲が先回りして外出や仕事などいろいろなことをやめさせてしまうものですが、実際にできなくなってしまったことならともかく、今はまだできる散歩や仕事までやめてしまう必要はありませんし、やめたらさらに進行を速めるだけです。  

リタイアをオール・オア・ナッシングで考える必要はまったくありません。この仕事、この家事はもうできなくなったからやめる、でもこの家事はできるからしばらくはつづけようという判断があっていいはずなのです。

橋田壽賀子さんが「アルツハイマーになったら安楽死させてくれ」と主張していたことはすでに何度か紹介していますが、2007年には当時外務大臣だった麻生太郎氏が、選挙での自民党候補の応援演説で、「7万8000円と1万6000円はどっちが高いか。アルツハイマーの人でもわかりますわな」と発言して問題になったことがあります。  

覚えていない人のために説明すると、このとき麻生氏は農産物の輸出を奨励する目的で演説していました。

日本のコメは日本国内で売ると1万6000円にしかならないが、中国に輸出して売ると7万8000円になる。したがって農産物を輸出するメリットが大きいことは、アルツハイマー患者でもわかるくらい当然のことである、と麻生氏は言いたかったのでしょう。  

橋田氏と麻生氏、お二人の発言に共通しているのは、アルツハイマーになったら基本的には知能が失われる、という偏見が感じられることです。  

こうした意見に対して私が何度でも強調しておきたいのは、アルツハイマー認知症においては一般的にまず記憶力が低下し、その後に知能が少しずつ低下してくるのは事実であるものの、じつはアルツハイマーがかなりの程度進行した人でも、依然として多くの残存機能を有している、ということです。  

ですから、認知症であるのかないのかは、ちょっと見たくらいで判断できるものではありませんし、仮に今橋田さんに記憶力のテストをしてみれば、あれだけの創作能力がある方でも短期記憶に関しては低下が確認でき、テスト上はすでに認知症であるという診断が下される可能性だって否定できません。  

1990年代に「100歳の双子姉妹」として人気を集めたきんさん・ぎんさんは亡くなる直前まで非常に矍鑠としていましたが、彼女たちに100歳の時点で同じテストを受けてもらったら、ほぼ確実に認知症の診断が下されていたはずです。  

米国のロナルド・レーガン元大統領も晩年にアルツハイマーを患っていたことが知られていますが、レーガンアルツハイマーであると公表した退任後5年目の時点では会話などにも相当に支障が出ていましたから、おそらく発症してから5年以上は経過していた可能性が大です。  

つまり、大統領在任中も記憶障碍は始まっていたと思われます。裏を返せば、アルツハイマーでも軽度の人は、アメリカの大統領がじゅうぶん務まり、なおかつ歴史的な業績も残せるほどの知的能力を有しているということでもあるわけです。  

重度のアルツハイマーになるとたしかに人の話もまったく理解できなくなるので、麻生元外務大臣が侮蔑したような状態よりさらに進んで「7万8000円と1万6000円はどっちが高いかもわからない」状態にもなりうるような病気でもあるのですが、現に発症していながら、麻生氏よりよっぽど賢い人もいるのがアルツハイマーという病気なのです。  

それにもかかわらず、「アルツハイマーである」というだけでもはや生きていく意味がないかのようにとらえ、「アルツハイマーになったら殺してくれ」などと語るのは、あまりにもこの病気の実態を知らないとしか言いようがありません。  

アルツハイマーは、1か0か、白か黒かというように二分できるような病気ではありません。もっと幅のある、連動性のある病気であるというとらえ方をしないと現実が見えてこないのです。  

そもそも、『年代別 医学的に正しい生き方』の「はじめに」でも紹介しているように、90代になると60%以上はアルツハイマーの有病者ということになるのですが、かといってそうした90代の人たちがものすごくボケているかというと、その時期にアルツハイマーになった人、つまり初期段階の人であれば、短期記憶は衰えてはいるものの、日常会話はふつうにできている人たちですのでまったくそうは見えません。  

そういう病気だと認識していると、じつは衰えることばかりに目を向けるよりは、むしろ残存機能に注目したほうが見えてくるものはたくさんあります。

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