氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

兵庫パワハラ疑惑知事「記憶にない」「私も完璧でない」委員会もドン引き言い訳…「パワハラ指導を受けて育った記憶が抜けない」板挟み氷河期世代の憂鬱

齋藤元彦兵庫県知事のパワハラ疑惑が告発された問題で、県議会第4会派「ひょうご県民連合」が斎藤氏への不信任決議案提出の方針を固めたといいます。県議会調査委員会(百条委)で証人尋問を受け、8月30日、斎藤知事は、アンケートで指摘されたパワハラ言動の認識を聞かれると「記憶にない」「一つ一つ覚えていない」「私も完璧な人間ではない」などと回答しました。

齋藤知事はパワハラを受けて育った記憶が抜けないのではないでしょうか。 世間を賑わせることが多いニュースの一つに、中年男性によるパワハラ問題があります。

定期的に政治家や大企業の重役、プロスポーツの監督やコーチ、先輩たちによるパワハラが告発され、そのたびに大きな話題となっています。  

こういったニュースに登場するパワハラマンたちを観察するとあることに気が付きました。それはパワハラで失脚する人には氷河期世代のアラフィフ男性が多いということです。  

いま最も熱いパワハラ問題と言えば、兵庫県の齋藤元彦知事によるものであるが、彼も46歳であり氷河期世代です。

なぜ厳しい氷河期の時代を生き残り、せっかく社会で地位と名誉を手にした斎藤知事をはじめとした氷河期の成功者たちは、次から次へとパワハラ問題を起こしてしまうのでしょうか?

調査特別委員会の調査結果や県職員のアンケートの数々を見る限り、どのような理由があったにせよ、齋藤知事がパワハラに該当する言動や行為を部下に行っていたのでしょう。  

コンプラが最重要視され、社会性や協調性がなによりも大事と言われる令和時代に、なぜ齋藤知事は部下に激しいパワハラ行為を行ってしまったのでしょうか。それには理由があります。

それは氷河期世代が昭和のパワハラ指導を受けて育った最後の世代だからです。  

平成日本では、まだパワハラが"愛のムチ"や"厳しい指導"として容認されていた時代だったのです。氷河期世代であれば、校内でタバコを吸ったヤンキーを体罰でボコボコにする体育教師や、試合で弛んだプレイをした選手に腹パンをしたり頭をどついたりする顧問が存在しました。  

テレビでは某名古屋地区の監督が『燃える闘将』として持ち上げられ、年末の特番では審判を突き飛ばしている映像がお茶の間に笑いの種として届けられていました。

試合中に血まみれになるほど選手を殴っていたことも公然の事実として社会に受け入れられていました。今の時代であればコンプラ違反で即解雇されていたはずです。  

当然、一般企業の中にも常軌を逸したパワハラ、ブラック労働が蔓延していました。今のようにインターネットやSNSで事前に就職先の企業を調べるすべもなく、就職率の低さから今の若者のように行き先の選択肢すらまともに持てなかった氷河期世代の多くが、ブラック企業に絡めとられ、そこでのパワハラに心や体を壊されてしまったのです。

2000年前後の日本社会は、今では考えられないコンプライアンス違反がまかり通っていた社会だったのです。  

数字の上がらない社員を徹底的に愚弄するなどはもちろんのこと、些細なことで怒鳴る、肩や頭を殴る、物を投げる、飲み会で芸を強要してくる、飲み会の送り迎えをさせる......そういった今の時代であればパワハラとして一発退場をくらうようなことが、氷河期世代が10代20代の頃は当たり前のように行われていたのです。

氷河期世代の人間は、上記のようなパワハラ被害に遭ったことがある人は多いのではないでしょうか。  

今の時代とは比べ物にならないブラックな社会人生活の中で、出世競争に勝ちあがっていった氷河期世代たちは『上司のいうことは絶対』『部下はどれだけ雑に扱ってもいい』『辞めればまたすぐに代わりを雇えばいいだけ』といった価値観を持つようになっていったのです。  

つまり、組織や上司のいうことは絶対であり、部下は必ず従わなければならない中で、結果を出して権力を掴めば、同じように部下を扱ってもいい。そういった弱肉強食の社会の仕組みを、おそらく齋藤知事も無意識のうちにインストールしていたのではないでしょうか。

齋藤知事のみならず、氷河期世代のアイコンとして政界や芸能界、スポーツ業界で活躍するものたちの多くが、強烈な自己責任論者なのは、彼らがそれだけ厳しい時代を生き抜いてきたということなのです。  

荒々しくても結果を出せば、いやむしろ荒っぽくなるぐらいの暴力性を出さなければ成功することが難しかった時代を生き抜き、そして勝ち上がってきた氷河期世代の勝ち組たちが、今まさにパワーを手にして動き出しているのです。

パワハラ問題が起きないはずがありません。  

彼らは痛覚が麻痺した格闘家のような存在で、痛みに敏感になった令和社会では上手く生きることができていません。

今の時代にパワハラで告発される氷河期世代の成功者たちの多くは、誤ったとしても本音の部分では『なんでこのぐらいでパワハラだと騒がれないといけないんだ?』と思っているのです。  

内部告発した部下に対して怒りをあらわにした齋藤知事からも、本人の中では自分の言動がなぜここまで騒がれているのか、現代の価値観に対しての適応できていない様を感じ取ることができます。

もちろんパワハラを行使する氷河期の成功者たちが悪いのは100も承知ですが、彼らは彼らで社会から壮大な梯子外しをされてしまったことも事実です。  

少子化によって社会全体からヨシヨシされ、乳母日傘で教育される新入社員を見て『俺たちのあの扱いは一体何だったんだ?』『この弛んだ若者たちをもっと厳しく躾けるべきなんじゃないか?』と考えてしまう氷河期管理職たちの気持ちも理解できなくはないでしょう。  

さらに、今なお権力の中心にいる団塊の世代の長老たちは、若い世代にはパワハラするのは控えつつも、これまでパワハラしてきた氷河期管理職には変わらず鞭を打ってくることが多いのです。

氷河期管理職は今なおパワハラに苦しんでいる人間もいるのです。  

しかし、氷河期を生き残った者たちの中には、このように厳しい環境下におかれてもなお、パワハラを悪として根絶しようとしている者たちの方が圧倒的に多いのです。

だからこそ、令和の日本ではこれだけ社会からハラスメントが減少しているのです。いくら制度を整えても、社会を構成する多くの人々が賛同しなければ、世界はより良い方向には変わっていきません。  

パワハラを受けてきた氷河期世代たちの多くは、今なお上に陣取る団塊の世代からパワハラめいた指示や指導を受けながらも、自分たちの代でこの悪しき風潮を終わらせようとしているのです。

人間は恐怖感を与えられながら指導されるより、褒めて自主性を伸ばす指導を受けた方が良い結果を得られることは、自然科学研究機構生理学研究所の定藤規弘教授らの研究などによっても明らかになってきています。

氷河期世代が受けてきた、団塊の世代たちからのありがたい指導の多くに意味はなかった、ということに多くの氷河期管理職たちは身をもって気が付いているのです。  

人の本性が最も露わになるときは、組織の中で権力を手にしたときです。

団塊の世代が退場した後に、彼らが座っていた席に着くのが氷河期世代管理職たちです。団塊が残した負の遺産氷河期世代の手で葬り去ることができるのでしょうか? それとも齋藤知事のように次世代に悪習を引き継いでしまうのか?すべては氷河期を生き残った男たちの手にかかっているのです。

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