氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

【日本の人口】50年後およそ8700万人に、2066年には1割が外国人、一方で“出生率”は減少ペースが加速

国立社会保障・人口問題研究所は4月26日、2070年まで50年間の将来推計人口を公表し、20年に1億2615万人だった総人口(外国人を含む)は、56年に1億人を下回り、70年には8700万人となって現在より3割減少するとのことです。

前回推計(17年)では1億人割れを53年としていましたが、平均寿命の伸びと外国人の増加で減少ペースはわずかに鈍化しました。

だが、40年代以降は高齢化率が4割近くに高止まりし、超高齢化の進行に歯止めはかかっていません。

推計は毎回、50年後までの見通しを示しており、今回は20年の国勢調査や出生・死亡など人口変動要因の実績を基に推計しました。

最も可能性が高いケース(中位推計)では、推計の前提となる70年の合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子どもの数に相当)を1・36(70年)と見込み、前回推計の1・44(65年)から下方修正しました。

 

 

同様に70年の平均寿命は男性85・89歳、女性を91・94歳とし、20年の男性81・58歳、女性87・72歳から一定の伸びを想定しました。

外国人は国勢調査の前年までに入国超過数が急増したことを反映し、40年まで年間16・4万人増とし、前回の7万人増を大きく上回る仮定で、70年には10人に1人が外国人となる計算です。

70年の出生率は、20年実績の1・33からは微増する見通しです。

20年代は、新型コロナウイルス下で婚姻数が減った影響で1・2台で推移しますが、30年以降はコロナ前の水準には戻ると想定しました。

ただ、日本人女性に限った出生率は上がらず、微増は外国人女性の出産による影響です。

出産する世代の人口減少に伴い、日本人の出生は38年に70万人、48年に60万人を下回り、59年に50万人割れです。

65歳以上の人口は43年に3953万人でピークとなりますが、その後も高齢化率は緩やかに上昇し続けます。

20年の28・6%が、70年には38・7%まで上昇。その一方で現役世代に当たる15~64歳は同期間に59・5%から52・1%まで減ります。

20年に現役世代2・1人で1人の高齢者を支えている構造は、38年に1・7人に1人、70年には1・3人と「肩車型」になります。

同研究所は今後100年間の長期参考推計も公表し、2120年の総人口は4973万人で、5000万人を割り込みます。

少子化対策が話題になって、出生や人口の減少ばかりが取りざたされますが、それと同じくらい深刻なのが「家族の減少」です。

長らく続く婚姻減や少子化とは、家族が新しく作られないということを意味するからです。それは、日本の世帯構造の大きな変化として顕在化しています。

かつて、世帯の中心は、この「夫婦と子」世帯であり、その構成比は、1970年代まで全世帯の45%以上を占めました。世帯の半分近くがこの「夫婦と子」世帯だったわけです。

しかし、2020年の国勢調査においては、それが25%にまでほぼ半減し、大幅に増えているのが一人暮らしの単身世帯です。

 

 

単身世帯の構成比は、2020年には38%にまで増えていますが、ここが天井ではなく、今後ますます加速していきます。

国立社会保障・人口問題研究所の2018年時点の推計によれば、2040年には39%が単身世帯となると推計されていましたが、すでにもはやそのレベルに到達しており、下手すれば2040年を待たずして、40%を超えるかもしれません。

反対に、同推計では「夫婦と子」の家族世帯は23%にまで下がるとされていましたが、そちらも最悪20%を切ることもありえます。

「そうはいっても、そうした現象は東京など都市部の話であって全国的にはまだまだ家族が中心だ」と思うかもしれませんが、2020年国勢調査時点でついに全都道府県において、単身世帯が「夫婦と子」の家族世帯を上回りました。

これは当然の帰結で、「夫婦と子」世帯はやがて子が独立し、「夫婦のみ」世帯となり、夫婦のどちらか一方が先に亡くなればソロ世帯へと変わるためです。

ソロ世帯とは、若い未婚世帯だけではなく、特に、地方においては、かつて家族だった高齢者によって作られていくからです。

それに加えて、ただでさえ婚姻減で、作られる新しい家族の数が少ない上に、「3組に1組は離婚する」という状態が続いており、「家族は作られず、壊されていく」ばかりです。

さらにもっと深刻なのは、現状存在する家族が家族であるがゆえの呪縛によってその内側から瓦解(がかい)していく危険性のほうなのです。

家族がいることは、幸福度を高める要素であることは間違いありません。事実、未婚より既婚のほうが幸福度は高くなります。家族がいることが心の支えにもなり、生活を充実させる原動力にもなるでしょう。

しかし、「頼れる家族がいるから安心だ」ということだけに縛られるあまり、「頼れるのは家族しかいない」という心理に陥りがちなのも事実です。

以前は、地域コミュニティが存在しましたが、今や大都市では、隣近所との付き合いはほとんどなくなっています。

唯一の親密な関係性として残されたのが家族なのです。

「家族なんだから助け合うのが当たり前」という考えは呪いでもあります。助ける余力のある人はいいですが、余力もないのに「助けなきゃいけない」という言葉に縛られて無理をすれば、それはいずれ破綻します。

知らない人も多いですが、日本における殺人事件の約半分は親族殺人です。しかも、1997年時点39%だったその構成比は、2010年に52%となって以降、ほぼ平均的に50%前後で推移しています。

しかも、残念ながら、今後も増えると予想されるのが、近年増加傾向にもある介護殺人です。親族間の殺人において一番多いのは、配偶者殺しで32%ですが、近年親殺しの比率が31%に上昇しています。

8050問題やヤングケアラー問題、さらに、老老介護など、慣れない介護に疲れ果て、介護対象者を殺害してしまう、または、介護対象者から「楽にしてほしい」と乞われて殺害してしまうパターンもあります。

相手を殺害した後、自分も自殺する心中事例も多いのです。

 

 

子であるならば親の介護をするのは当然だ、夫婦ならば相手の最期まで看取ってあげるべきだ、それもできずに「疲れたから殺した」というのは無責任だ、などと非難するのは簡単ですが、当事者にしてみれば、これも「選択肢のない袋小路」に追い込まれた挙げ句のやむをえない行動だったのかもしれません。

皮肉にも「家族を大切に思う気持ち」が強いがゆえ、「家族のことは家族がなんとかしなければならない」と自分自身を追い込み、誰かに助けを求めることも逃げることも休むことも許されない、そのあげくが、一番大切だったはずの家族を手にかけることになるのだとしたらなんと悲しい結末でしょうか。

今後、超高齢社会が進めば、ますますこの家族の介護の問題はよりマジョリティの問題として深刻化していきます。

個人の意識としても「家族という居場所への唯一依存」に陥っていないかと考えるべき時にきているでしょう。

一緒に暮らす家族を大事に思うことはもちろん素晴らしいことですが、家族以外に頼れる相手が誰もいないという状況になっていないでしょうか。

かつて安心な囲いだったはずの家族のカタチが、いつの間にか家族だけの狭い牢獄に自らを縛り付ける鎖になっています。

アメリカの社会学タルコット・パーソンズによれば、「家族は子どもの養育とメンバーの精神的安定という2つを本質的機能とする親族集団であり、必ずしも共住を前提としない」と規定されています。

さしずめ、現代においては、必ずしも「子どもの養育」が必須条件とはならないし、血縁関係に限定されるものでもないため、「家族とは、必ずしも血縁や共住を前提とせず、構成するメンバーの経済的生活の成立と精神的安定を機能とする集団」と、新しく定義を拡張することも可能です。

血縁や共住を前提としない……つまり、血のつながりや同居することだけが家族ではないのです。ここにこそ、家族を消滅させないひとつのヒントが隠されているように思います。

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