氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

日本は2040年には「人口の半分が独身者」

日本が世界一の超高齢国家であることは周知のことですが、2020年時点の国勢調査段階における65歳以上の高齢人口は約3600万人です。

しかし、15歳以上の配偶関係別人口から、未婚・離別死別を合わせた全独身人口を割り出すと、約4930万人になり、約5000万人が独身なのです。

高齢人口より独身人口が多い「超独身国家」で、国勢調査1920年からですが、それ以前に人口が今より多かったことはないので、これは、日本史上はじまって以来、独身人口がもっとも増えた最高記録を打ち立てたことになります。

国立社会保障・人口問題研究所(以下、「社人研」という)の2018年時点の推計では、2040年は有配偶者53%に対して、独身者47%とほぼ半々となるとしています。

有配偶人口が2000年をピークに減少しているのとは対照的に、独身人口は1980年代から急速に増加しています。

若い未婚人口の増加だけではなく、長寿化による高齢独身の増加もあるからです。

「日本はソロ社会になる」が決して大袈裟でもないことです。

有配偶人口が減るのはしかたないにしても、2020年の生涯未婚率(50歳時未婚率)は男性が28.3%、女性17.8%とこれも過去最高です。

 

 

婚姻件数は、もっとも多かった1972年の約110万組に対して、2021年は約50万組と半減以下です。

結婚が少なくなれば出生数も減り、2021年の合計特殊出生率は1.30であり、出生数は約81万人と、これも1899年以来の人口動態統計の中の最低記録です。

政府は少子化対策と称して、「子育て支援の充実」を声高に叫んでいますが、残念ながら、子育て支援少子化対策にはなりません。

今までも徹底して子育て支援の政策メインにやってきたが、出生数は右肩下がりであることが何よりの証拠です。

むしろ、子育て支援少子化があろうとなかろうと常時やるべきものであり、未来を担う子どもたちに投資をするのは当然です。

しかし、子育て支援をどんなに充実化させても、出生数を増やすことは物理的に無理なのです。

現在の母親が決して子どもを出産していないわけではく、今でも結婚した夫婦は2人以上の子どもを産んでいます。

一人の母親が産む子どもの数の比率は1980年代とほぼ変わっておらず、むしろ3人以上の出産の比率は、第二次ベビーブーム期の1970年代より多いくらいです。

少子化ではなく少母化です。

出生数が減るのは、子を産む対象である49歳以下の女性の絶対人口が減っているからで、その直接の原因は、1990年代後半に来るはずだった「消えた第三次ベビーブーム」によります。

ただでさえ未婚化で結婚する女性の数が減っているのに加えて、絶対人口そのものが減っているのだから、どう逆立ちしても出生数が増えるはずがないのです。

少子化による人口減少の危機が叫ばれますが、そもそも日本の総人口自体がすでに減少しはじめており、その大きな要因は少子化よりも高齢者の多死化によるものです。

長寿国家日本では、昭和~平成にかけて、世界でも稀に見る死亡率の低い「少死国家」でした。

とはいえ、不老不死ではないわけで、いつかは天寿を全うします。

こちらも、社人研の推計によれば、今まで長生きしてきた高齢者たちが毎年150万人以上50年連続で死んでいく多死時代に突入します。

 

 

日本の出生は今後も最大で年間約80万人程度だとするなら、生まれてくる数の倍の死亡者がいることになります。

人口が減るのは当然で、実際、2100年には日本の人口は今の半分に減るでしょう。

未婚化、少母化、高齢者の多死化という3つの要素によって「ソロ社会」は不可避な現実となります。

これは、子どもの数の減少であるとともに、家族の数の減少にもなり、婚姻減、出生減なのだから当然の帰結です。

単身世帯が増え、独身が増える。まさに社会の個人化です。

この流れは止められません。

政府の政策でなんとかなるものでもありません。

我々の価値観や意志によって変えられるものですらありません。

2020年春に、瞬く間に全世界に感染爆発したコロナウイルスとは違い、長い世代時間をかけて、徐々に広がっていく「ソロ・パンデミック」というものかもしれません。

ドイツの社会学ウルリッヒ・ベックは、すでに1990年代において「家族は、資本主義社会での心のよりどころだった。だが、個人化によって家族はリスクの場に変わりつつある」と分析し、従来の伝統的な共同体であった家族は、「すでに死んでいるが、依然として形だけは生き残っているゾンビカテゴリー(死に体カテゴリー)」とまで表現しています。

日本の高度経済成長を支えた終身雇用はすでに崩壊していますが、家族もまた「終身家族」ではなくなっていくのです。

ベックと並び称される社会学ジグムント・バウマンも同様に、「社会の個人化」について言及しています。

かつては、地域や職場や家族といった安定した共同体の中でまとまって暮らすソリッド(固体)社会の仲に個人は属していたが、現代の社会は、各個人が動き回るリキッド(液状)社会となったと表現しました。

地域・職場・家族という固体的集団共同体で生きるソリッド社会では、相応に制限や我慢が必要で、不自由を感じることもあったでしょう。

しかし、そうした不自由を補って余りある安心・安全・安定が提供されていたことも事実です。

リキッド社会においては、人々は自由に動き回れる反面、つねに選択や判断をし続けなければいけない自己責任を負わされることになります。

まさに現代において各個人に突き付けられた問題といえます。

「居場所がない」と嘆く人たちがいますが、居場所さえあれば安心なのでしょうか。

そもそも、かつてのような安心を提供してくれる居場所や所属先など、今となっては存在しない虚構や昔話になってないでしょうか。

「どこかに所属すれば、どこかに居場所があれば安心だ」という幻想に縛られ、ゴールも何もない荒野をたださまよい歩いているのではないでしょうか。

「所属するコミュニティ」が崩壊する過程の中で、個人主義化が進み、婚姻制度や家庭の価値観が崩壊していと予言したのは、チェコ生まれの経済学者ヨーゼフ・シュンペーターです。

彼はそれを「社会のアトム化」と呼び、日本だけではなく、世界で未婚化や少子化が進んでいます。

シュンペーターは、その原因を資本主義体制による功利主義や競争心によるものだとして、資本主義は崩壊するだろうとも予測しましたが、その予測は現在もなお的中はしてません。

もちろん、行き過ぎた資本主義による歪みは至る所で顕在化し、経済的な格差は存在するし、その経済的格差が親から子へ遺伝するという世代を超えた「親ガチャ」と呼ばれる不平等もあります。

しかし、だからこそいみじくもシュンペーター自身が資本主義を定義した時に使用した「イノベーション」の概念が重要になります。

このイノベーションという言葉はシュンペーターが用いたことで有名なのだが、通常ビジネス的には「技術革新」などと訳されています。

 

 

革新という言葉から、古い技術や考え方を壊して、新しいものへと刷新するというスクラップ&ビルドのような印象がありますが、シュンペーターの定義はそうではありません。

彼の主著『経済発展の理論』によれば、「資本主義経済においては、土地、労働、資本という生産要素の組み合わせで財やサービスを生み出す。この組み合わせのあり方を変化させることが新結合というイノベーションである」と言っています。

彼はこれを資本主義の経済発展をもたらすものとして使っていますが、この「新結合」という考え方は、これからの我々のひとりひとりの生き方や「個人化する社会」における人とのつながりという面において、流用可能な考え方です。

何も昔のものをすべて破壊も否定もする必要はなく、全く新しいものをゼロから発見、発明しなくてはいけないものでもありません。

すでに存在するものを従来の概念とは違った視点でとらえなおし、本来組み合わせるものではないものを組み合わせてみたり、何かを付加することで、より良いものへと新結合していくという考え方です。

グレードアップでもアップデートでもなく、シュンペーターの言葉通り「新結合」です。

世界的な少子化や人口減少は不可避ですが、それは絶望の未来ではありません。

「社会の個人化=ソロ社会化」が進むからといって、個人がバラバラに生きる社会になるわけではなく、人とのつながりは「所属するコミュニティ」だけではありません。

所属から「接続するコミュニティ」へ、唯一の「居場所」だけに依存するのではなく、複数の選択できる「出場所」の充実へ、我々の周りの外敵環境そのもの構造変化が待ったなしの未来に向けて、どう適応していくべきか、一人一人が考え、動き出す時が来ています。

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