「政治家の世襲」に対する批判は昔からあるが、ここに来て再燃しています。
「政治家の世襲」とは、親は祖父母など親族が作った「三バン」(地盤、かばん、看板)と呼ばれるものを継承して政治活動を行うことをいいます。
また、三バンを引き継いでいない場合でも、親子などの親族関係があれば、世襲とみなされる場合もあります。 自民党国会議員のおおむね3割が世襲議員です。選挙のたびにその割合は上下します。
自民党が選挙に敗れたときに、世襲議員の割合が約4割に上がることもあります。世襲議員は選挙において「逆風」に左右されない強さがあるとされます。
世襲議員は、政界でキャリアを重ね、閣僚・党幹部になるのに有利です。
第二次岸田改造内閣が2022年8月に発足した際、親族から直接地盤を継承した「純粋な世襲議員」は閣僚20人中9人でした。
また、平成元(1989)年以降の歴代首相の7割が世襲議員です。
だが、米国議会における世襲議員の比率は約5%にすぎません。ブッシュ家、ケネディ家などは少数派です。
英国では世襲議員はほぼいません。下院議員の約7割が、生まれ故郷でも職場でもない選挙区から立候補する「落下傘候補」です。
保守党、労働党など各政党では、「公募」を実施して候補者を決定する「実力主義」が貫かれています。
世襲議員の全員がダメだというつもりはないが、その能力や言動に批判があるのも事実です。
平成以降、世襲議員が首相になることが多くなりましたが、それ以前は違っていました。
昭和の時代に活躍した首相の初当選年齢とキャリアは、以下のようなものでした。
・池田勇人氏:49歳(1期目に蔵相就任)
・佐藤栄作氏:47歳(当選前に官房長官、1期目に自由党幹事長、郵政相)
・岸信介氏:45歳(戦前に商工相などを歴任、戦後に公職追放解除後4年で初代自民党幹事長)
こうした経歴を見ると、当時の日本では、財界・官界で出世した人物が40代以降に初当選し、即幹部に抜擢(ばってき)される実力主義だったことがうかがえます。
ただし、この実力主義は「条件付き」であり、必ずしも世襲と無縁というわけではありませんでした。
というのも、当時の総理には、ビジネス界や皇族などのそうそうたるメンバーと血縁・婚姻関係を結び、「閨閥(けいばつ)」と呼ばれる親族関係を形成している人物が多かったのです。
歴代総理の縁戚関係をたどると、日本を代表する財閥である三井家や住友家、ブリヂストン創業者の石橋一族、森コンツェルンの森一族、昭和電工の安西一族、住友銀行元会長の堀田一族、日本郵船元社長の浅尾一族、そして天皇家などに行きつきます。
当時の首相の多くは、本人が名門家系の令嬢と結婚するか、自身の子供を名門家系と結婚させることで縁戚関係を築き、「閨閥議員」として権力を握ったのです。
かつて、官僚となり「閨閥」入りすることは政界への最短コースであり、庶民階級から政界入りする一つの道として確立されていました。
今考えると「閨閥」というシステムは前時代的であり、世襲の一種であることに変わりはありません。
ただ、あくまで実力でのし上がってきた“強者”たちが、縁戚関係の力を借りて出世の道を切り開くという意味で、「純粋な世襲」とは異なります。
実力のない者は、そもそも「閨閥」入りすることは難しく、無条件で既得権益を享受できるわけではありません。
だが現在は、閨閥のシステムは終焉を迎え、「純粋な世襲」が当たり前の時代になりました。もちろん、外部から政界に参入してくる人材も存在しますが、世襲議員のほうが政界でより指導的立場になりやすいのです。
その一因には、自民党の年功序列システム(当選回数至上主義)の完成があります。当選回数至上主義とは、国会議員の当選回数に応じて、閣僚、副大臣、国会の委員会、党の役員といった、さまざまなポストを割り振っていく人事システムです。
自民党議員は当選5~6回で初入閣までは横並びで出世し、その後は能力や実績に応じて閣僚・党役員を歴任していきます。
約300人もいる自民党の国会議員の全員が納得できるように党の役職を割り振るのは簡単ではないため、「当選回数」というわかりやすい基準を設けたのです。
このシステムは自民党政権の長期化に伴って固定化し、「当選回数」が国会議員を評価する絶対的な基準となりました。
このシステムでは、若くして国会議員に当選すると、それだけ党内での出世に有利となります。
そして、強固な選挙区(地盤)、政治資金(かばん)、知名度(看板)を引き継ぐ世襲議員の初当選年齢は若いのです。
例えば、小泉純一郎氏は30歳、橋本龍太郎氏は26歳、羽田孜氏は34歳、小渕恵三氏は26歳です。
ちなみに、史上最年少で自民党幹事長を務めた小沢一郎氏は27歳で初当選しました。
一方、この人事システムでは、官界・ビジネス界で成功した後や、知事などを経験した後に40~50代で政界入りした人物の実績はほとんど考慮されません。
「ただの1年生議員」として扱われ、そこから政界でのキャリアをスタートさせねばならず、40~50代で政界入りすると、初入閣するのは 50代後半か60代前半です。
そのとき、彼らと同年代の世襲議員は、既に主要閣僚・党幹部を歴任したリーダーとなっています。
世襲議員を要職に抜擢する人事としては、小泉純一郎内閣の安倍晋三自民党幹事長や石原伸晃国土交通相、麻生太郎内閣の小渕優子少子化担当相、菅義偉内閣の小泉進次郎環境相などが代表例です。
一方、確かに自民党など各政党は、「世襲批判」を受けて「候補者の公募」を行うなど、参入障壁の緩和を図ってきた側面もあり、2000年代に入ると「小泉チルドレン」(自民党、2005年総選挙)、「小沢ガールズ」(民主党、2009年総選挙)、「安倍チルドレン」(自民党、2012年総選挙)など、三バンを持たない新人の大量当選現象が起こりました。
しかし、その結果は惨憺(さんたん)たるものだった。チルドレンのさまざまな失言や不適切な行動によって、「政治家の資質」の低下がより厳しく批判されるようになったのです。
世襲ありきのシステムを改革しようとした結果、外から政界入りした人材が不祥事を連発させたのだから皮肉なものです。
ビジネス界で活躍する優秀な人材は、なぜあまり政界に入ってこない理由は二つあります。
一つ目は、「1年生議員」として扱われる状況下で出世へのモチベーションを描けないことです。
二つ目は、終身雇用・年功序列の「日本型雇用システム」から逸脱するのが難しいことです。
現在の雇用慣行では、企業で「正社員」のステータスを得た若者が、年功序列・終身雇用のレールから一度外れると、その恩恵を再び享受することが難しくなります。
そのため転職する場合も、似たような雇用慣行の他社に移る程度であり、政界入りなどの挑戦に踏み切る人は珍しいのです。
もし政界挑戦などによって会社員としての“空白期間”ができると、中途採用で低評価され、ビジネス界には戻りづらくなるからです。
すなわち、一般企業の社員が日本で政治家になるということは、大学4年生時の「新卒一括採用」で得た「正社員」の座を捨てることです。
生まれながらに三バンを持つ「世襲」の候補者を除けば、大きなリスクのある挑戦です。
そうなると、年功序列・終身雇用のレールに乗って順調に出世している優秀な人が、わざわざ退職して政治家になる理由がありません。
会社を辞めるのは、社内で満足な評価を得られず、不満を募らせている人でしょう。
なお、会社員だけでなく公務員(官僚)でも、「くすぶっている人が外に出たがる」傾向があるといいます。
あるエリート官僚によると、省内で出世コースに乗り、仕事が充実している官僚は政治家に転身しません。
転身するのは、省内で評価されず、不満を持っていた官僚なのです。
ちなみに、英国など欧州では、政治家への道は日本ほどリスキーではなく、早期に主要閣僚の業務をこなせる能力を持つ優秀な若者が政界入りしています。
40代で首相に就任する政治家も少なくなく、閣僚も若手が起用されることが多く、首相や閣僚を辞任後、政界からビジネス界に転じることも多いのです。
米国のIT企業でCEOを務める者もいる。このようなキャリア形成が可能なのは、年功序列・終身雇用がないからに尽きます。
要するに、優秀な人材が政界を目指せる風土を生むには、政界の中だけでなく、日本社会全体の改革が必要です。
現在の日本の政界は、成蹊大学、成城大学、学習院大学や、幼稚舎から慶応に入った「世襲のお坊ちゃま・お嬢さま」が牛耳っています。
それ以外の外部参入組は、会社や省庁で出世できずに、政界に転じた人たちで占められています。
そうした人々を、東京大学や京都大学を卒業した官僚が支えているのだ。この構図は「逆・学歴社会」だといえます。
これでは、優秀な人材はバカバカしくなって政界に興味を持たなくなります。これが「政治家の世襲問題」の本質なのではないでしょうか。