ブラック企業にハラスメント……いつ巻き込まれてもおかしくない昨今、常に安定したメンタルを維持することはサラリーマンに欠かせない要素です。
セラピーで進むべき道に光を当て、どうしたいかを考える段階になると、少なからぬクライアントが「わたしはただ幸せになりたいだけです」と言います。
彼らがそう思うのも、実のところ、幸せという概念は長年にわたって「喜びと満足に溢れた人生」という捉えどころのないおとぎ話に乗っ取られてきました。
ソーシャルメディアにも、「ポジティブになろう、幸せになろう、人生からネガティブなものを追い出そう」と語りかける投稿が溢れています。
人間は、「幸せが標準であり、そうでなければメンタルヘルスに問題がある」とか、「物質的な豊かさを手に入れれば、幸せになれる」と思い込まされています。
だが、人間は常に幸せでいられるようにはできていません。生存を脅かす難題に対処するようにできているのです。
感情は、体の状態、行動、信念、周囲で起きていることへの反応です。それらはすべて常に変化しています。
したがって、常に変化しているのが正常な状態なのです。ラス・ハリスは著書『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない』において、感情は天気のようなものだと述べています。
感情は常に動き、変化し、予測できるときもあれば、突然、生じるときもあります。感情は常に経験の一部ですが、天気と同じように、ある瞬間は心地よいが、ある瞬間は耐え難いのです。
非常に曖昧で簡単には説明できないときもあり、感情が不確かなものである以上、末長い幸せなどというものは存在しません。
幸せで充実した人生を送りながらも、人間としてさまざまな感情を経験します。
幸せとは常にポジティブであることだと思い込んでいると、気分が沈んだときに自分は敗者だという思いにとらわれてしまいます。
自分が道を踏み外しているように感じたり、メンタルヘルスに問題があるのではと恐れたりします。
そんなふうに考えだすと、どんよりと曇った日はますます暗くなりますが、時として幸せを感じられなくなるのは、人間で、人生には多くの困難がつきものだからです。
人生に幸せをもたらすものは、幸せな感情だけをもたらすわけではなく、その最たるものは人生で出会う人々です。
たとえば、家族はかけがえのない存在だが、家族が間違ったことをすると、他の人がそうした場合より激しく動揺するでしょう。
また、子どもを持つ人は、子育てに意義を覚え、日々、強い愛と喜びを感じるでしょうが、同時に苦痛や恐怖を感じたり、恥を経験したりもします。
つまり、幸せな瞬間は、大きな花束の中の一輪の花であり、その一つだけを取り出すことはできません。
感情は束になって訪れるのです。
人生に迷いを感じて、セラピーを受け始める人もおり、具体的な問題を抱えているわけではないが、自分が正しい方向に進んでいると思えません。
何かに夢中になったり、仕事にエネルギーや熱意を注いだりしにくく、はっきりした問題がないにもかかわらず、進むべき方向を見出せないのです。
目標を達成できないのではなく、そもそもどのような目標を立てればよいのか、どの目標に努力するだけの価値があるのかがわからないのです。
多くの場合、原因はその人がコアバリュー(基本的価値観)と切り離されていることにあり、自分にとって最も重要なことから切り離された人生を彼らは送っているのです。
その場合、価値観をはっきりさせると、多くのことが解決します。
コアバリューは、目指したい方向や、最も有意義な人生を送るための目標を知る指針となり、人生の苦難に耐える助けにもなり、困難なときでも、正しい道を進んでいることを思い出させてくれます。
価値観は目標ではなく、目標は具体的で期限があり、それを目指して努力します。
目標は達成したら、それで終わりで、後は、次の目標を探さなければなりません。
目標になるのは、試験に合格すること、やることリストをすべて終わらせること、ランニングで自己ベストを更新することなどです。
一方、価値観は達成できるものではなく、価値観は、人生をどのように生きたいか、どのような人になりたいか、どのような原則を貫きたいか、といったことです。
もし人生が一つの旅だとしたら、価値観とは、選ぶ道で、その道に終着点はありません。
道は旅をするための一つの方法であり、価値観に沿って生きることは、その道から離れないよう意識的に努力することを意味します。
途上には、跳び越えなければならないハードルがたくさんあり、この道を選んだときに定めた目標です。
いくつかのハードルは高すぎて跳び越えられるかどうかわからなくてもベストを尽くします。
なぜなら、この道を進み続けることが、自分にとってとても大切だからです。他にもハードルや困難を伴う道はたくさんあります。
しかし、この一本の道を選び、どんな困難も乗り越えようと決心することで、すべての出来事や行動に意味と目的が生まれます。
この道を突き進むという強い意志があればこそ、無謀と思えるほどの挑戦をします。
ある人は生涯を通して数々の試験に取り組むかもしれません。
それはその人の価値観が生涯学習と自己成長を重視するからです。
すなわち、価値観とは、わたしたちが行うこと、それを行うときの態度、それを選択する理由なのです。
それは、誰であって誰でないかということではなく、所有するもの、なろうとするもの、達成するもの、完了するものでもありません。
時々、価値観に沿った生き方から遠ざかってしまうことがあり、人生で予期せぬことが起こり、別の方向へ引き寄せられたからかもしれません。
あるいは、自分の価値観がはっきりしていなかったせいかもしれません。
人生を通じて変化し成熟するにつれて、価値観も変化していきます。
自立し、家を離れ、出会った人々から学び、世界について多くを学び、子どもを持ったり持たなかったりします。
人生にはさまざまな変化がつきものです。
したがって、自分にとって何が最も重要であるかを、定期的に見直すことが大切です。
そうすれば、必要に応じて意識的に方向転換し、進むべき道を進めるようになり、人生を有意義なものにでます。
人生を有意義で目的のあるものにするには 価値観が定まっていないと、義務感や他者の期待、あるいは、それを達成したらようやく満足できる、リラックスして自分を認めることができる、という予測に基づいて、目標を設定しがちです。
そうすることの大きな欠点は、満足し幸せになるための条件を限定してしまうことです。また、満足と幸福感のすべてを、今ではなく将来に置くことにもなります。
目標を設定すべきでないと言っているわけではありませんが、何かに向かって努力するとき、なぜそれに取り組むのかを明らかにし、人生における満足や幸福感は終着点に待っているのでなく、そこまでのプロセスにあることを理解しておくのは有益です。
将来、幸せになるのを期待するのではなく、自分にとって最も大切な価値観にしたがって生きることで、今、人生が有意義で目的のあるものになるとしたら、どうでしょうか?
依然として変化と達成を目指して懸命に努力しなければなりませんが、意義深い人生の訪れを待っているのではなく、すでにそれを手に入れているのです。