損得勘定には、個人の属性が関係してくる。その一つが年齢です。
特定の時点における社員の会社に対する貢献度と、会社から受け取る報酬とは必ずしも一致しません。
企業側が意図的に一致させないようにしているとも考えられます。
単純化していえば、年功制のもとでは若いときは貢献度以下の報酬しか受け取らないかわりに、中高年になると貢献度以上の報酬を受け取ります。
定年まで勤めることによって、その帳尻が合う仕組みです。
職務給が中心の欧米企業と比べたときの大きな違いは、二つの線の開きが大きいことと、定年まで勤めてはじめて元が取れるところにあります。
このような報酬制度は戦後、大企業を中心に日本的雇用慣行の一環として形成され、定着していきました。
企業がこうした制度を採用した背景には、経済が拡大するなかでは若年労働力を大量に確保する必要があり、長く勤めるほど得な年功賃金制度は労働力を会社につなぎ止める効果がありました。
また、当時は個人の経験や熟練に依存する仕事が多かったため、年齢・勤続年数とともに賃金が上がる賃金制度にはある程度の経済合理性があったのです。
そして当時の標準世帯では世帯主である夫(父親)が正社員として働き、専業主婦の妻や子の生活は夫(父親)の収入に依存していました。
一般に結婚、出産、子の成長というようにライフステージが進むにつれて家計支出は増大します。
したがって一家の生活を保障するためには年齢に応じて賃金も上げなければなりません。
つまり、年功賃金は一種の社会政策的機能を肩代わりしていたわけです。
いうまでもなく当時といまとでは労働力需要、仕事の性質、家族の就労形態などが大きく異なります。
それでも実態としては、大企業を中心に年功制の枠組みは残っています。
それはやはり企業にとって社員の帰属意識を保ち、ドライな離職を防ぐメリットが捨てがたいからです。
典型的な年功制の場合、貢献度と報酬の線が交差する点はおおむね45歳くらいです。会社への貢献度の報酬に対する超過分を貯金にたとえるなら、貯金の額が最大になるのがこのあたりの年齢です。
そうだとしたら社員にとっては、45歳くらいで辞めるのがいちばん損なわけです。
2021年に、ある大企業経営者の発言がきっかけで「45歳定年」が議論を呼びました。
企業にとっていちばん得で、社員にとってはいちばん損な年齢で辞めさせるなんてもってのほかだ、という反発の声が上がるのは当然でしょう。
このような理屈からすると、これから元を取ろうという45歳くらいが、最も勤続意向が強くなるはずです。
もちろん理由はほかにもあり、恵まれた給与だけでなく、せっかく獲得した役職ポストや肩書きも失いたくないでしょうし、年齢とともに転職して新しい環境に馴染むのも難しくなります。
いずれにしても年齢とともに転職が割に合わなくなり、仕事に対しても保守的になるのは自然です。
リスクを冒してまで挑戦しようという意識が薄れてくるのです。それはキャリアに対する意識からも見て取れます。
パーソル総合研究所が2021年3月に行った調査の結果を見ると、年齢とともに転職意向が低下していく傾向がはっきりと表れています。
「自ら転職や独立をしないほうが得だと思いますか?」という質問に対し、「そう思う」「どちらかといえば、そう思う」と回答した人の割合は、40代から高くなる傾向があります。
損得勘定から、現在の職場に留まろうとしている様子がうかがえます。
それだけではなく、年功制そのものが崩壊すれば、長年会社に預けてきた「貯金」が引き出せなくなるのです。
デフォルト(債務不履行)と同じですので、ミドル層は管理職の削減につながる組織のフラット化やスリム化にも、日本的雇用慣行の見直しそのものにも強く反対するのです。
さらに大きな問題は、彼らの多くが中間管理職として仕事や人事の権限を握っているところにあります。
部下の失敗は自分の責任であり、将来のキャリアにも影響します。
若手の新しい提案やチャレンジに対し、何かと理由をつけて拒否したり、「待った」をかけたりする管理職がしばしばやり玉にあげられますが、単に年を取れば保守的になるという理由だけでなく、背後には自分自身の損得勘定が働いているのです。
デジタル社会の到来により、経験や熟練の価値が相対的に低下したいま、年功制の合理的根拠は薄らいでいます。
そのなかで中高年は給与や地位に見合った貢献をしていないのではないかという認識が広がっています。
そこへもってきて自分自身がリスクを恐れ、挑戦を避けるだけでなく、若手の頭を押さえるような行動をとると、彼らに対する風当たりはいっそう強くなります。
「働かないオジサン」問題が取りざたされるようになったのには、こうした時代背景があると考えられます。
いずれにしても「働かないオジサン」問題は大部分が制度の産物です。
性別もまた、損得勘定に影響を与える要因です。
「仕事で失敗のリスクを冒してまでチャレンジしないほうが得だと思いますか?」という質問に、「そう思う」「どちらかといえば、そう思う」と回答した人は男性の61.2%に比べ、女性は69.9%と高いです。
また「自ら転職や独立をしないほうが得だと思いますか?」という質問にも、「そう思う」「どちらかといえば、そう思う」の合計が男性は43.0%だったのに対し、女性は49.4%と高くなっています。
女性のほうが男性に比べ、仕事上の挑戦や転職・独立をしないほうが得だと思っている理由として、つぎの二つが考えられます。
1つは、男性と女性の仕事内容に差があり、挑戦して獲得できるかもしれない利得が女性は男性より小さいことです。あるいは制度・慣行その他のハンディにより、挑戦して成功する確率が低いことです。
もう1つは、挑戦すること、あるいは挑戦して失敗したときの負の利得(損失)が男性より大きいことです。いずれも実際にそうかどうかは別にして、そう考えられているのでしょう。
要するに挑戦しても割に合わないと思う傾向が、女性にいっそう顕著です。
日本企業では「挑戦しないほうが得」な構造になっており、それが社員を保守的、消極的にしています。
かつての工業社会では業務の性質上、社員の保守的・消極的な姿勢が生産性に目立った悪影響を及ぼすことは少なかったのです。
そればかりか、むしろミスを防ぎ、正確な仕事につながると前向きに評価される場合もありました。
ところがデジタル化、グローバル化が進んだ1990年代あたりからは、定型業務が減る一方でイノベーションが成長のカギを握るようになりました。
そこでは保守的・消極的な姿勢はイノベーションの妨げとなりかねません。
1990年代以降、日本の労働生産性、国際競争力の先進国内での地位は急速に低下しました。
その後も低落傾向に歯止めがかからないのには、このような構造的問題が少なからず関係しています。