氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

定年後、会社の肩書が捨てられない人は不幸になる

65歳は多くの人にとって、第二の人生を踏み出す年です。働くことを生きがいにしてきたための弊害が、定年になると表面化されてきます。

65歳は多くの人にとって、第二の人生を踏み出す年です。

これは自分で決めるというよりも、ある種、社会的に決められた人生の岐路だとも言えるでしょう。

その大きな要因が定年です。 政府統計によれば、日本では就業者のうち約9割が会社などの組織に勤める雇用者です。

そして多くは65歳までに定年を迎えることになります。会社によっては、定年後のライフプランづくりについて研修を開くなど、第二の人生へのソフトランディングを促しています。

健康や人間関係、資産、趣味など。定年後に起こり得るいくつかの課題についての心づもりを伝えられたかもしれません。

 

 

しかし、実際のところ、ほとんどの会社員にとって、定年になってみると、その衝撃は想定以上のものがあります。

心や体に不調をきたす方は少なくありません。なぜだか、イライラするようになったり、うつうつとしてしまったりして、日々の生活習慣が激変します。

「人付き合いが減って、一日中テレビを観てぼんやりと過ごす」 「やろうと思っていたことになぜだか取り組めず、家にばかりいる」 「家族への干渉が増え、家族から疎んじられる」 こんな状態に陥っては、結果的に心身の不調は加速してしまいます。

定年になれば自由になる時間が増えます。 これまでどのくらい勤め先にいたかを思い返してみてください。

朝夕の通勤時間も含めれば、一日のうち、ほぼ10時間は会社に関わっていたことでしょう。あるいは、退勤後も同僚と飲みに行ったり、取引先の接待に時間を割いたり、さらには休日なども仕事のための研鑽をしてきたかもしれません。

こうした時間のすべてが、定年後には必要がなくなると言えます。 そして、みなさんの目の前には圧倒的な自由が広がります。

「ようやく自由になれた! たっぷり自分のために時間を使おう」 と喜ぶ方もいるでしょう。今まで時間に縛られてきたのですから、そこはぜひ大いに喜んでいただき、自由を満喫していただければと思います。

ところが、それも束の間のこと。冷や水を浴びせるようですが、意外と自由な時間は持て余してしまうものです。

すると結局は家の中にいる時間が増えるという方もいるでしょう。 対照的に、こんな方もいるかもしれません。好んで家にいたいというタイプです。

「今まで働き詰めだったのだから、この先は何もしないでゴロゴロしたい! なんて幸せなんだろう」 このような方も、家の中でひと月もゴロゴロしていれば飽きてしまいます。

さらに全身の機能低下というオマケ付きです。いよいよゴロゴロするのにも飽きて、外出しようかと思っても体力も衰えていますし、そもそも、その気力だって湧かないということになってしまいます。

 

 

このような生活を続けていったら、どうでしょう。 みるみる老け込んでいくことは想像に難くないと思います。

厚生労働省の集計によれば、2021年6月1日時点で従業員21名以上の会社約23万社のうち、65歳まで継続的に働ける制度のある会社は99.7%でした。

では66歳以上まで働ける制度のある企業はと見れば38.3%です。 ここに65歳の壁があります。 先延ばしになる年金の受給開始に、定年の年齢を合わせたいという背景もあり、「定年を延長すべき」という論調もあります。

定年は引き上げ傾向にありますし、そもそもの定年を廃止する企業も増えています。 同集計の「60歳定年企業における定年到達者の動向」のデータを見ると、定年に達した方の86.8%が継続雇用されたといいます(2020年6月1日から2021年5月31日まで)。

希望しながら継続雇用されなかった方も0.2%います。つまり、希望しなかった方は13.0%しかいません。 老後の備えなど、収入面でのお考えも分かります。

ただ、どうも日本の多くの会社員は「もっと長く会社にいさせてほしい」と思っているように見えます。

日本は、働くことが生きがいだという文化があります。

ですから、日本の会社員は、飲みに行くときも、ゴルフに行くときも、会社や仕事関係の相手としか行かないという方が多く、こうした働くことを生きがいにしてきたための弊害が、定年になると表面化されてきます。

働くことを生きがいにし過ぎたばかりに、自分のアイデンティティの多くの部分を会社の肩書に頼っていたり、勤めていた当時の成功や人間関係、地位を、定年後に引きずることにもなります。

なぜ働いていた当時の肩書などに頼るのかは、突然のように始まった第二の人生は、人間関係が大きく変わってしまうことにあります。

 

 

飲みに行っていた会社の仲間やゴルフに行っていた取引先からも離れて、人間関係は急に乏しくなります。

周りからは相手にしてくれる人も減り、過去の栄光にすがらざるを得ません。 「私は部長だった」 「俺は支社長だった」 「年中、海外へ飛び回って、億の仕事ばかりしてきた」 などと肩書や過去の成功を振りかざしたところで、新たな人間関係の中では疎まれるだけです。

確かにそれまでの仕事を軸とした人間関係ならば、一種の力関係もあったでしょうし顔色をうかがってくれたかもしれません。

それも定年後には「付き合いづらいなあ」と呆れられて、人が離れていってしまいます。しかもプライドが邪魔をして、自分から新しい人間関係を作ろうとなければ、老化も進みます。

こうした価値観では、定年後に幸せになれるとはとても思えません。 例えばオーナー一族の一員であったり、すごい実力者で定年後もその組織の重鎮であり続けられるような方であれば、定年もなく、その地位を保っていられるかもしれません。

しかし、このような方はごくわずか。多くの人は、地位や肩書は、手放していくことになります。 自分の人生を「面白いか、面白くないか」という判断基準で生きていくので、地位や肩書からは早々に離れ、人と比べる必要もなくなります。

特に年をとれば、地位や肩書なんて必要ありません。むしろ積極的に捨てるべきだと思います。

最後に残るのは、「こうなりたい」「こう生きたい」という願いです。それさえあれば、いつからでもだれでも幸せな人生を送れます。

「自分のデスクがなくなってしまった」 「仕事がやりがいだったのに」 「会社にいる自分が好きだった」 そんな思いは無くしましょう。

定年になって、長くいた勤め先から離れることは怖いことではありません。

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