氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

ミニマリストを志向する若者が増えている

Z世代を中心にミニマリストを志向する若者が増えているというニュースがあります。

先月、日経新聞に掲載されてネットでも少なからずの話題になったのが「風呂なし物件、若者捉える」(2022年12月掲載)という記事でした。

「昭和の時代をほうふつさせる「風呂なし」賃貸物件が、令和の若者の間で再び脚光を浴びている」という書き出しの世相記事です。

都心であるにもかかわらず賃料は4万~6万円。トイレはあっても風呂はないという古い下宿向けの賃貸物件を社会人になってからも好んで借りる若者が増えているというのです。

そして節約よりもシンプルな暮らしをしたいという理由からそれを選ぶというわけです。彼らの持ち物は本当に最小限であり、おかげで部屋は広く使えています。

 

 

そして近隣には銭湯が2軒あるから仕事帰りに銭湯で汗を流して帰宅すればそれでミニマリストとしての生活は成立するのだといいます。

とはいえ東京都では銭湯の数は激減していますから、今はよくてもこれからはどうかと思うのですが、スポーツジムやサウナ、ネットカフェなどシャワーが借りられる場所は逆に増えており、これから先も困ることはないといいます。

ミニマリストのもうひとつのコツで、冷蔵庫を持たないというアイデアがあります。不便なようで毎日、その日に消費し終わるものだけを買って家に帰ります。

一つひとつの食材は一見割高に見えても、廃棄食材が出ない分だけむしろ割安になるようです。

ただネット上で論争になったのが、このようなトレンドは若者の貧困化を美化しているだけではないのかという議論です。

そもそも30年続く不況とデフレで若者の収入は減ってしまっていて、それが昨年の値上げラッシュでますます苦しくなってきているという経済事情があります。

それを豊かに克服したいと考えれば、若者はミニマリストを志向するのが一番いい。因果関係としては貧困化が先にあって、それを解決する方法としてミニマリズムが脚光を浴びているのではないかという批判です。

ここは議論が難しいところで、そのような因果関係は少なからずある一方で、もうひとつの世界的なトレンドである持続可能な社会を目指すうえでは、日本人全体がミニマリズム志向へと舵を切る必要があることは事実です。

私も1年間、服の利用状況を記録し分析した後では、服はほとんど買わなくなりました。

少なくともこれからの10年間、今持っている服だけでほとんど暮らしていけますし、これから買うのは本当に気に入った服を10着だけでいいと思うようになりました。

むしろ因果関係を考えると今後問題になるのは、こういうことではないかと思います。

 

 

持続可能な社会を目指すうえで日本人はこれから先、老若男女問わずミニマリストを目指す人が増えたほうがいいのです。

ただそのようなトレンドは本質的には消費の縮小を意味します。結果的に因果関係としてはそのことによって若者の貧困が増大するかもしれません。

若い人はご存じないと思いますが、1970年代の日本では地方から東京に上京した若者の多くが風呂なしの賃貸物件で暮らしていました。

風呂だけでなくクーラーはもちろん暖房もまともにはない部屋で一人暮らしをするのが普通でした。

そこから日本が経済的に豊かになって、若者も快適なワンルームマンションに住めるようになりました。

それがさらに巡ってふたたび令和の時代に木造のアパート暮らしが若者の標準に戻ってしまうのかどうかです。その点がこれから先、社会問題としての論点になるのではないでしょうか。

ちなみにそのような生活も必ずしも悪いとは言い切れません。30年ほど昔の議論で「イタリア人は貧しいのかそれとも幸せなのか」という議論がありました。

イタリアは21世紀に入ってEUが発展するようになってから一人当たりGDPも3万5000ドルに増加しましたが、1990年当時は2万ドル前後と欧州の中でも比較的貧しい先進国でした。

ところが実際に当時イタリアに住んでいた日本人に言わせると、イタリア人は貧しくても日本人よりも人生が豊かだと言うのです。

収入は少なくても休日は町に出て濃いコーヒーを味わい、ワインを飲みながら毎日イタリアンの食事を楽しみ、大勢でワイワイ騒ぎながら人生を語り、政治を語り、愛を語り、大声で歌い、そしてサッカーの試合を見てブラボーと叫びます。

当時、GDPがはるかに高かった日本と比べてもイタリア人の生活の方が豊かではないかというのです。

その背景には2000年以上もの時間をかけて蓄積されてきたイタリアの社会インフラの豊かさがあったのだと思います。

古いものではローマ時代からの石畳があり、築何百年の集合住宅にいまだに人が快適に住めます。

一人当たりGDPというフローの数字では貧しくとも、社会全体のストックさて、そのようなイタリア人の一人当たりGDPが2万ドル前後だった時代はもう30年近い昔の話です。

 

 

今ではIMF(国際通貨基金)が発表する世界の一人当たりGDPランキングで見ると日本が27位でイタリアは28位。イタリアはかなり裕福になり、私たち日本はかなり世界の中での地位を下げてきました。

一方でこの30年間で日本の社会インフラはかなり向上したことは事実です。少なくとも大都市であれば公共交通網は完成の域に達しましたし、スーパーやコンビニといった生活インフラはとても身近なところに存在しています。

そこにスマートフォンという通信インフラが登場したことで地域間のインフラ格差も縮小しました。

結果的に、コロナ禍やロシアによるウクライナ侵攻、値上げラッシュという諸問題が表面化するまでは、多くの人にとって日本からは生活の不安はほとんどなくなりました。

インフラが資産となっている点は令和の日本は昭和よりも上なのですが、一方で一人当たりGDPというフローで見た場合の国民の豊かさに不安が頭をもたげる状況になっているわけです

そこに昨年、値上げラッシュという新たな不安要素が加わりました。これまでコンビニとファストフードと百均とユニクロがあれば生活は成り立つと思っていた若者も、百均では満足できる商品は手に入らず、コンビニとユニクロは商品が高くて買えないという新しい現実に直面するようになったのです。

結果として若者が風呂なし物件を探さなければならなくなるというのが因果関係であれば、それはミニマリストがトレンドであるのではなく、ミニマリズムでしか生き残れない時代が始まったということになります。

つまりミニマリズムの志向から始まる豊かな人生なのか、ミニマリズムに追い込まれる貧しさの先の人生なのか、そのどちらが本当の社会トレンドなのかがこれからだんだんと明確になっていくことで、その是非が問われていくことになるのでしょう。

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