コロナ禍が約3年続く間に、日本ではリモートワークが急速に普及しました。
それで「日本人の働き方が変わった」「通勤時間が減少したことで業務が効率化した」と言う人もいます。でもそれは本当でしょうか?
確かに良かった側面もありますが、それだけではないと思います。
国は「働き方改革」という言葉を2016年頃から使っていて、実際「働き方改革関連法」が19年より順次施行されています。
実はコロナ前から、国をあげて「日本人の働き方を変えよう」という流れになっていたのです。
企業は黒字リストラを盛んに行い、なかには退職金を積み増して早期退職を促すところも出ていました。
また、不採算事業を廃止・縮小して、成長分野に人や資金をつぎ込む企業もあり、人材の流動化が促されたのです。
長時間労働の規制や、労働者が一定数有給休暇を取得することを使用者、つまり企業側の義務としました。
リモートワークも、オフィスの効率化や通勤時間の見直しの流れで以前から進められていて、その総仕上げが20年、本来のオリンピックイヤーになるはずでした。
でも、その記憶が曖昧になるくらい、コロナによるリモートワークの導入は急速でした。
いずれにせよ「働き方を変えよう」という掛け声には、皆、おおむね賛同せざるを得ません。
でも、なかには違和感を持った人もいたはずです。例えば、長時間労働をやめて余った時間は副業をしてもよいことになりましたが、実は本業に集中したほうがいいのではないかとか、リモートワークは本当に効率的なのかとか。
ただ、そうした違和感を持っても、今はそれを口にしづらい雰囲気が蔓延しています。口にすると「今までの古い社会がいいのか」と責められたり、SNSやネットで炎上したりするからです。
労働者自身の問題であるにもかかわらず、違和感を持っても口にしづらく、そのことこそ最大の問題だと思います。
少し前、Twitter社を買収したイーロン・マスクが、リモートワークを減らしてオフィスに出勤するよう従業員に勧告した話が非難を集めました。
確かに有無を言わさず出勤を求めるやり方には賛同できませんが、出勤することすべてが悪いかと言えば、そうは言い切れないと思います。
リモートワークには、良い面がたくさんあります。
以前は商談があれば、クライアントにアポイントをとり、自社から担当者や上司が出向いていました。
でもリモートなら、場所を設定したり移動したりする時間が省けるだけでなく、担当者だけが電話で済ませていた案件に、テレビ会議やチャットで上司や同僚も参加できます。
一方、リモートワークの問題点も指摘され始めています。例えば、リモート会議や打ち合わせでは、相手の頷きや笑顔によるニュアンスが伝わりにくく、相手の理解度を測るのが難しいと感じることがあります。
自宅はオフィスほど仕事に集中できる環境でない場合も多く、孤独感がつのり、それがストレスになることもあります。
リモートワークを続けたところ、軽い適応障害になる場合もあります。
つまり、人によっては、通勤で、朝、適度に日光に当たり、軽い運動をすることが健康維持につながっていたのではないでしょうか。
もちろん、過酷な通勤ラッシュを肯定するつもりはありませんが、通勤にはそういう効果もあるはずです。
リモートで十分仕事は回ると言う人もいますが、リモートワークは万能ではないと思います。
仕事の内容によって、また、会社とその事業、部署やチームの置かれている状況によって、適している、適していないがあるはずです。
本来は、それらを吟味しながら導入を進めるべきだったと思うのですが、このコロナ禍で十分検討する時間もないまま、物凄いスピードでリモートワークが広まってしまった弊害は大きいと思います。
新型コロナは、物理的にだけでなく、心理的にも人と人との距離を離してしまいました。
特に、自分と異なる意見に対して不寛容になり、何かが槍玉に挙げられると、過剰なバッシングにつながるようになったことは問題です。
SNSでは、政治的な立場から、マスクやワクチンに対する考え方まで、過激な意見が飛びかうようになりました。
アメリカが典型的で、マスクをするかしないかが、イデオロギー対立にまで発展していました。
日本でも、アメリカほどではないにせよ、いがみ合いレベルのことはしょっちゅう起きています。働き方の議論についても同様で、Twitter社のリモートワーク廃止宣言の例のように、その会社や仕事の実情を鑑みずに、バッシングが始まる傾向にあります。
メディアでもよく「ワークライフバランスの実現のために、労働時間ではなく、成果で測る働き方を」といった論調で語られますが、すべて成果で管理する社会になればいいのでしょうか。
それでは、成果を上げるために労働時間を増やしてしまうことも考えられます。
また、公私の時間をくっきりと分けることが効率的であり、労働者のためになるとも言い切れません。
休日にスマートフォンにアポイントのメールがきて、すぐに返信するのは時間外労働かもしれませんが、そのおかげで平日に別の業務をする時間ができれば効率がいいとも言えます。
休憩や休日のリフレッシュによって仕事のアイデアが生まれることもあります。公私の時間や場所は、ワークライフバランスの観点からはしっかり分けるべきですが、逆に分けないことで柔軟に働けるとも言えます。
これは、実はかなり難しい問題で、しっかり時間をかけて議論すべきことではないかと思います。
コロナ禍の3年間は、感染症対策と働き方改革をいっしょくたにして進めたせいで、さまざまな弊害が生じていましたが、今後は、会社全体のあり方や働き方を、ていねいにリデザインしていく時期だと思います。
例えばリモートワークありきではなく、仕事内容によって出勤に揺り戻す会社や部署があってもいい。「労働時間より成果」というのも、時間や成果の中身をよく検討し、労働者が消耗しないあり方を探っていくべきです。
また「働き方改革」のように、一見、労働者のためになりそうな掛け声に対して、すべて従う必要もありません。
例えば22年の政府の「骨太の方針」には、育児・介護と仕事を両立させるための週休3日制、リカレント教育(学び直し)、副業・兼業の推進などが盛り込まれています。
文字だけを見ると、休みが増え、副業もできて良いように取れますが、内容をよく読むと国の「労働力を減らしたくない」という論理が透けて見えてきます。
また、さまざまな「休み」を「義務化」する動きには注意して向き合わなくてはなりません。
一見すると、休みやすい国になっているかのように感じますが、本来「労働者の権利」であるものを「義務化」することは、国が求めている労働者像の型にはめられてしまう危険と表裏一体だからです。
長く続いた働き方を変える場合には、ゆっくりと、企業や組織、そこで働く個人のベストミックスを探りながら進めていくべきです。
「新しい働き方」に違和感があっても、批判や炎上を恐れて意見を言いづらい現状があるとしたら、それはとても怖いことだと思います。
コロナ禍も落ち着き始め、リモートワークに代表される急激な働き方の変化は一段落しつつあります。今後は、労働者が自らの問題を、躊躇せず、明るく発言しあえる社会になってほしいと思います。