氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

挑戦は損、何もしない人が得という日本社会

一貫した原理原則を持たず、そのときの状況に応じて自分の利益になるように行動することを「機会主義」といいます。

そして機会主義にも作為による積極的な行動をとる場合と、不作為による消極的な態度をとる場合とがあります。

一般に作為の場合は目につくのでチェックされやすく、不作為の場合は見つかりにくいのです。

たとえばムダな慣行だとわかっていてもあらためないとか、業務のIT化やDXに消極的な姿勢をとることなどがそれに当たります。

とくに日本のような集団主義のもとでは、機会主義による不作為が生じやすいです。よくあるのは、つぎのようなケースです。 新人が職場に入ってきます。

最初はやる気満々、張り切って仕事をします。

ところが周囲の先輩たちにやる気がないと、自分がいくらがんばっても仕事ははかどらないどころか、自分ががんばっているぶん、先輩たちが楽をしています。

その姿を目にすると、自分だけがんばるのがばからしくなり、だんだんと活気のない職場になじんでいくのです。

 

 

とくに古い体質の組織では、「新人のころは輝いていた目が、1年もたつと曇っていく」とよくいわれます。

そして集団主義は、不作為の機会主義にもろい。その理由は個人の顔が見えないところにあり、共同体型組織では組織を隠れ蓑にした不作為が生じやすいですが、それを後押ししているのが匿名主義です。

日本企業には、「仕事は組織でするもの」「個人プレーは慎むべき」という考え方があり、個人の名を表に出すことは控えられてきました。

したがって顧客など社外からはもちろん、社内でも他部署からはだれがどんな仕事をしているかが見えにくいのです。

ましてコロナが広がって以来、社員はマスクをつけてほんとうの顔まで隠すようになったので、いっそう個人が見えなくなっています。

顔が見えなければ、積極的に仕事をしても外からは認められないので、何かをしようという意欲が湧きにくいです。

「何もしないほうが得」だという意識がいちだんと強くなっていくのです。さらに、集団主義そのものが「全体最適化」を図るあまりに成員間の不公平をもたらしている面もあります。

 多くの会社は「適材適所」を人事の理念に掲げる。会社全体の視点から、それぞれの仕事に適した人材を各部署に配置し、会社全体のパフォーマンスを最大化しようという趣旨です。

また管理職は、いかに自部署の業務を効率的に処理するかを考えますが、それが個人の利害と一致するとはかぎりません。

 いまでも当然、本人にとって「何が得意か」というのと、「何をしたいか」とは必ずしも一致しません。

そこで、「能ある鷹は爪を隠す」という処世術を身につけます。自分が就きたい仕事以外には適性がないふりをしていたほうが得だというわけです。

「2022年ウェブ調査」の結果からは、この処世術を用いている人が少なくないことがうかがえます。

企業などの組織で働く人に対して「仕事に関する知識や技術、特技など、自分が得意なことでも隠すことがありますか?」と質問したところ、「ある」と答えた人が44.6%と半数近くいました。

 

 

そこで、つぎに隠す理由について聞いてみると、予想どおり多くの人が功利的な理由を述べていました。

主なものを拾ってみると、

「給料が一緒なのに仕事や責任が増すので」(41件)

「話が面倒になるので」(29件)

「知らせないほうが得だから」(15件)

「何でも屋にならないため」(5件)

「やりたくない仕事に回される」(3件)

つまり、全回答者522人の2割近くに当たる93人が、功利的な理由で自分の得意なことを隠すと答えているのです。

ただし、いっぽうで「自慢したくないから」「目立ちたくないから」「自信がないので」という理由も計36件ありました。

こうしてみると、得意なことをひけらかしたくないとか目立ちたくないという気持ち以上に、損得勘定が強く働いていることがわかります。

部署や店舗のような現場レベルだとそれは、しばしば「力の出し惜しみ」という形で表れます。

上司はついつい、仕事をてきぱきと要領よくこなす人に多くの仕事を回しがちです。自己犠牲をいとわず努力してくれる人には、きつい仕事が回ってくるし、手の遅い人の仕事を手伝う羽目になることも多いのです。

それでも上司から評価され、仲間から感謝されればそれなりに報われますが、「仕事はみんなで協力し合ってするもの」という建前があるため、仕事を進んで引き受け、手が空いたらほかの人の仕事を手伝うのは当たり前という感覚になりやすいのです。

その結果、純粋な個人間の援助と違って、助けても十分な感謝さえ得られないことがあるのです。

このような職場の「全体最適化」は、短期的にはうまくいくかもしれませんが、そのような報われない状態が長く続くと、だれも仕事を効率的にこなしたり、がんばったりしなくなります。

 

 

したがって長期的には職場のモラールダウン(士気低下)を招き、仕事の生産性を下げてしまいます。

ところで、社員がリスクを冒して挑戦するより周囲との調和を優先したほうが得になる仕組みは、雇用制度の視点からとらえたら終身雇用(長期雇用)制に行き着くといっても過言ではありません。

終身雇用制は、共同体型組織ときわめて親和性が高く、 まず社員にとっては、定年までの雇用が保障されているので、あえてチャレンジしようという意欲が起きません。

いっぽう企業の側は、社員に対し長期にわたって安定した処遇を保障しなければならない以上、社員が特別に大きな業績をあげたとしても思い切った抜擢をしたり、大幅に昇給させたりすることができません。

提供できるインセンティブに限界があるからです。

また一人ひとりの貢献度に対して正しく報いるには、個人の分担を明確に定めることが必要ですが、雇用の維持を優先しなければならない以上、欧米のような職務主義(いわゆる「ジョブ型」雇用がこれに近い)を徹底することは難しいです。

その職務が不要になったからといって解雇したり、転職を促したりできないからです。

そして日本企業の主流である企業別労働組合は終身雇用を前提に成り立っていますが、その組合は社内の一体感を保つため、個人の成果や能力によって大差がつく人事制度の導入には否定的です。

このように「何もしないほうが得」な数々の仕組みの背景には終身雇用という大きな制度の骨格があり、二重、三重にたがをはめていることを見逃してはいけません。

終身雇用をめぐっては、社員の雇用が保障されているから思いきって挑戦できるという見方をする向きもあります。

たしかに解雇や大幅な給与ダウンのリスクは小さいかもしれません。

その一方で挑戦するメリットは小さく、失敗したら昇進や異動などで不利益を被る恐れがあります。つまり、コストパフォーマンス(コスパ)が悪いのです。

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