氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

部下や同僚の「活躍」を素直に喜べない人たち

人間は「計算する動物」です。禁句ゆえ口には出さなくても、常に損か得かを計算しながら生きています。

いっぽうで人間は「社会的動物」で、計算されるのは経済的に損か得かだけでなく、人間関係や感情などの社会的報酬、心理的報酬も加えながら、損か得かを計算しています。

その意味で損得勘定には、「損得感情」が強く働いています。

会社のような組織のなかでは、上司・部下や同僚との人間関係が、社会的報酬として大きな比重を占めています。

その社会的報酬には「正の報酬」と「負の報酬」の両方があり、それぞれが損得勘定に大きく影響し、そこへ日本社会特有の要素が深く関わります。

日本企業は共同体型組織で、組織は閉鎖的で、社員の人間関係が濃密です。

 

 

そのため人間関係がもたらす「正の報酬」も「負の報酬」も大きく、関係がよいときはすこぶる快適ですが、悪くなるといたたまれません。

一方では平等主義のため、欧米などの企業に比べて金銭的報酬に大きな差はつきません。

だからこそ社会的報酬のウエイトがいっそう大きくなるのです。

日本企業では個人の仕事の分担が明確でなく、課や係、あるいは上司と部下といった集団単位で行う仕事が多いので、日常的に他人から仕事で助けられたり、必要な情報をもらったりします。

仕事以外でも一緒に食事をとったり、困ったときに相談に乗ってもらったりすることがあり、ほめられる、認められる、感謝されるのはもちろん、何気ない気配りや雑談も大切な社会的報酬です。

さらに一方的に「もらう」だけでなく、他人を助けたり、周りの人の役に立ったりすることで自分も充実感、満足感が得られます。

それらが社会的欲求や承認欲求を満たしてくれます。

問題は仕事でチャレンジすること、がんばることが、それらの社会的報酬を獲得するうえでプラスになるとはかぎらないということ、むしろマイナスになる場合が多いことです。

チャレンジすることが周囲との人間関係のうえでマイナスになる理由は、周囲の人にとって「迷惑」になるからです。

日本の会社は共同体型組織のため1人ひとりの分担が明確になっておらず、上から下まで全体が相互依存の関係で、「迷惑」をもたらすのです。

 

 

大企業の社長は大半が、いわゆるサラリーマン経営者で、任期を終えて退任するときの挨拶で、枕詞のように「大過なく」という言葉が添えられるのは、彼らがいかに無難に任期を全うしようと考えているかを物語っています。

経営学では昔から「企業はだれのものか」という論争がありますが、株式会社である以上、制度的には会社は出資者である株主のものということになります。

少なくともアメリカなどではそれが常識で、日本企業も近年は株主重視の経営に舵を切るところが増えてきたが、歴史的に日本企業は株主の利益よりも組織の存続や社員(従業員)の利益を重視する傾向がありました。

そして多くの社長は内部昇進で、いわば「社員の代表」あるいは会社という「共同体の長」といった性格が強いため自分の保身だけでなく、会社全体のため、全社員のためにも安定を重んじます。

だからこそ一方で「挑戦」を唱えながらも、リスクを冒しての挑戦は避けようとするのです。

当然ながら、トップのそうした姿勢や考え方は会社全体に浸透し、一種の組織風土となります。

次に中間管理職の立場に立ってみると、ミドル層が年齢的にも、地位の面でも保守的になり、部下が失敗すると管理職である自分の責任になるので、リスクをともなう挑戦は好まない傾向があります。

しかも部下に無謀な挑戦をされると、自分が部下を管理できていない印象を上層部に与えてしまい、管理能力を問われる恐れがあります。

逆に部下が挑戦して成功を収めたら、部下の存在感が高まり、自分の顔がつぶれるかもしれないのです。

いずれにしろ、本音としては部下の挑戦を手放しでは喜べないのです。

ただ、一方には実績をあげるため高い目標を掲げ、積極的に挑戦しようとする管理職もいます。

しかし多くの場合、その過程では部下を巻き込むことになり、部下自身が挑戦することにメリットを感じず、「挑戦しないほうが得」だと考えていたら、アグレッシブな管理職の姿勢は部下にとって迷惑でしかありません。

手柄を独り占めするような管理職ならなおさらです。

そして、最も迷惑するのが同僚どうしで、「2022年ウェブ調査」の結果で、「自分から新しいことに挑戦するチャレンジ精神にあふれる新人に入ってきてほしいですか?」という質問に対しては、「どちらかというと、そう思う」という回答が70.9%を占めます。

会社全体のためには、チャレンジ精神のある人が必要だと考えている人が多いのでしょう。

ところが「同僚として積極的にチャレンジする人と、周りとの調和を大事にする人のどちらを好みますか?」という質問には、「どちらかというと周りとの調和を大事にする人」という回答が68.2%と7割に迫る一方、「どちらかというと積極的にチャレンジする人」は31.8%にとどまります。

 

 

そこで「どちらかというと周りとの調和を大事にする人」を選択した人に、その理由を述べてもらうと、

「もめ事を起こしたくないから」(35件)

「面倒を起こしたくないから」(17件)

「楽だから」(16件)

「何となく」(33件)

 そのほか「仕事がやりやすい」「付き合いやすい」「楽しく仕事をしたい」「巻き込まれたくない」「空気を乱されたくない」「ストレスを感じない」「付き合いやすい」という回答もそれぞれ複数、計33件ありました。

これらの回答は、いずれも個人的な損得や感情を表していると解釈できます。要するに回答した456人のうち約3割(29.4%)に当たる134人が、個人的な理由からチャレンジする人を歓迎していないわけです。

そして、その大半が相手から受ける迷惑を理由にあげていることがわかります。

会社にとってはチャレンジングな人材が必要ですが、同僚としてはあまり歓迎しません。

いわゆる「総論賛成、各論反対」です。この本音こそ日本の組織を語るうえで重要な意味を持っていまあす。

アメリカのウェスタン・エレクトリック社ホーソ工場で行われた職場の人間関係に関する研究では、職場の中に制度として定められた公式組織とは別に仲間同士の非公式な組織が存在し、その中で形成される暗黙の規範が生産性を左右していることが明らかになりました。

その規範とは、サボってはいけないが、がんばりすぎてもいけないというものです。

だれかがサボると、ほかの仲間の足を引っ張るので迷惑をかけ、逆にがんばりすぎても、ほかの人が同じようにがんばらなければならなくなるので迷惑になります。

したがってサボりもがんばりすぎもしない、「そこそこ」の働き方が要求されるわけです。

これはアメリカで行われた研究ですが、仕事を進めるうえでも、イデオロギーの面でもいっそう集団主義的な性格が強い日本企業では、暗黙の規範による束縛はいっそう強いと想像されます。

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