誰もが巨万の富を築くことに成功するとは限らない、というかほとんどの人ができないのはなぜなのでしょうか。
つまり、新しい価値を創造し、イノベーションを起こすことは、高等教育を受けさえすれば誰でもできるようになるわけではない、ということを示しています。
クイズ番組の回答ができる丸暗記教育はいらないのです。
これは、学んだことを実社会でいかに応用するかという思考習慣が養われていない、あるいは社会に出てからそういう姿勢で取り組んでいないことに起因します。
学んだ知識を組み合わせて統合し、より複雑な問題に適用できないのは、与えられた問題を解くことに慣れてしまっているからです。
自分で問いを発して探求し、解決方法を自らの頭脳で編み出し、成し遂げるという経験をしてこなかったからでしょう。
そして、学校でもそういうことは教わりません。小学校は基礎教育、中・高は大学受験に向かう受験勉強だけのカリキュラムです。
そして大学の先生は研究重視の人も多く、本当の意味での教育者ではない教えるプロフェッショナルではないし、他の分野をかけもちする学生を好まない人もいます。
日本では、高校の時点で文系と理系に別れてしまいますし、大学に入ってからも早々に自分の専門分野を絞り込むことを要求されます。
これは自分の可能性を狭くさせてしまうリスクが指摘されています。
そもそも世の中の課題や問題は、理系や文系に分かれているわけではなく、極めて学際的です。
そのため、たとえば哲学などの正解がない分野に取り組む文系的な思考力と、仮説を立てて検証方法を考え、実験してその結果を再び次に活かすという理系的な素養の両方が必要性です。
分野横断的な知識と、それをどう整理し、分析して考えればよいかです。
そして自分以外のメンバーとどう協働すれば、世の中の問題が解決できるのかという「頭脳×机上×行動」ができる実践経験が必要なのです。
環境が変わっても適切に情報を集め、ゼロベースかつクリティカルに思考し、クリエイティブに課題を解決していく力です。
また、どのような職業に就いても、しかるべきリーダーシップを発揮できる能力や得た知識を他でも応用できる力です。
これからの時代を生き抜くためには、これらの力が必要です。
複雑な問題に対処できる思考技能を獲得すれば、どんな分野に進もうと深い洞察や探求ができ、新しい知見を発掘することができます。
これから求められるのは、変化に対応する(対応させられる)のではなく、自らが変化をつくる側にまわること、1つではなく複数の成長シナリオを持ち、常にアップデートすること、回復力の強い人間になることです。
少なくとも高校生くらいになったら、そういう視点で勉強することはモチベーションにもなるし、知識の定着にもつながるでしょう。
そして、社会に出てからはもちろん必要なのですが、こうした意識を持って事に当たれば、それが社会の役に立ってお金に換わるということはよくあることです。
しかし、そういうことは学校ではなかなか教えてもらえません。だからこそ、学校でできないことは親が家庭教育の中で補完してあげる必要があります。
また、採用する企業側が求める人材が 変わってきたという事もあげられます。
ここ最近の起業の求める人物像は 一昔前とは大きく変わってきています。
誰にでも出来る仕事は ・給料の安い社員 ・契約社員やアルバイト でも十分だからです。
そこで企業が求めるのはそういった 人達を円滑にまとめることの出来る「次世代を担うリーダー」 です。
もちろん高学歴者の中にもリーダー的存在は 多くいますが、大企業などはエリートの集合体です。
なのでその中でも優劣が決まり、リーダーシップの取れない人、付き合いの悪い人、 は落ちこぼれていきます。
結果としてニートの道を選択する人も増えてきています。
「だったら別の会社で働けばいいじゃん」と思われる方もいますが、そう簡単にはいきません。
高学歴の人はそれなりに一生懸命勉強してきたというプライドも自負も当然あります。
だから、今更別の会社に行って、高卒の人に支持されたり 慣れない事を一から学ぶのは嫌がります。
この気持ちは痛いほど分かります。
今の時代、高学歴者は新卒には求められますが、 中途採用は逆効果の場合もあります。
理由は、会社の求める人物像が変わってきているからです。
だからニートの道を選択する人が急増しているのも納得です。
高学歴だからこそ、「自分でビジネスを始めよう」という事です。
ニートの道を選ぶのも自由ですが、せっかく高学歴な肩書を持てるほどの能力があるのであればビジネスをすればあっという間に 成功できるはずです。
誰にも雇われずに、自分の意思で稼ぐ。 これを実現させても良いと思います。