氷河期セミリタイア日記

就職氷河期世代ですが、資産運用でなんとかセミリタイアできました。残りの人生は、好きなことをしながら自由に生きていきます。

家庭の収入で子どもの体力二極化

収入が少ない家庭の子ほど、体力や運動能力が低い傾向がある子どものスポーツ格差が指摘されています。

学力の低い子は体力・運動能力も低い傾向があり、学年が上がるにつれて格差が拡大していくことも、明らかになりました。

家庭の経済格差によって子どもたちの体力が二極化しているという問題です。

経済的に豊かな家庭の子のほうが、低収入の家庭の子よりも体力テストの総合点が高いのです。

特に、世帯収入400万円未満の子どもの体力の低さは深刻です。

 

 

スポーツ格差は子どもが生まれ育つ家庭や地域、学校などの条件が原因となって生じます。

①スポーツ機会へのアクセス②運動習慣③運動への意欲④スポーツ活動によって獲得される体力や運動能力にかかわる許容できない不当で不平等な差異のことです。

子ども自身が選択・操作できず、自らの努力や能力によらない不条理な差です。

また、スポーツが不得意な子や、体力が相対的に低い子どもたちは、学校生活への満足度が低く、休み時間はひとりぼっちで過ごす傾向が強いことも分かりました。

家庭の経済力は体力や運動能力だけでなく、学校生活全般の豊かさにも大きく影響していたのです。

子どものスポーツや運動遊びが子どもの世界から大人の世界へと移行し、大人に依存しないとスポーツができない社会状況を大人がつくってしまったことが原因です。

昔は暗くなるまで学校の校庭で遊ぶことができました。空き地やグラウンドは子どもが遊ぶ場で、サッカーや野球も無料でできる遊びでした。

でも、いまは気軽に自由に体を動かして遊べる場所が少なくなってしまいました。 子どもの遊びやスポーツを巡る環境が大きく変わる中で、特に、二つの潮流がスポーツの外部化や商業化を後押しし、スポーツ格差を押し広げていきました。

 

 

ひとつ目の潮流は、1960年代に始まったスポーツ少年団をはじめとする、子どもの地域スポーツクラブの普及です。

元来は幅広く子どもたちにいろんなスポーツを味わってほしいという思いからスタートしたもので、いろんなスポーツを楽しむことが本旨でした。

ところが、大人が関わるようになると、子どもを使って、自分たちの「勝ちたい」という欲望をかなえていくスタイルになってしまったのです。

送り迎えやコーチの弁当など家庭の負担が増えて、経済的、時間的余力がある家庭の子どもだけが地域のクラブに積極的に関われるようになっていきます。

もうひとつはスポーツの産業化という流れです。 通商産業省(当時)が1990年に出した「スポーツビジョン21」では、スポーツの産業化ということが謳われました。

スポーツは市場経済に取り込まれ、子どもは「消費者」になりました。無償、あるいは廉価で楽しめる文化活動だったものが、有料化、高額化していく動きが始まったのです。

その結果、スポーツへのアクセスに家庭の経済資源の多寡が強く影響するようになってしまいました。

ごく普通の子どもたちがサッカーしたり野球したりバレーボールしたりということに、高いお金を払わないといけないのです。

スポーツ活動は、体を動かして体力を高めるだけでなく、技術の習得や戦略の工夫などには知的な側面もあり、ひらめきや感性、フェアプレー、スポーツマンシップなどの道徳性も求められます。

つまり、子どもがスポーツを経験するということは、総合的な人間性を育むということです。

子どものスポーツが家計に依存する状況は、国のスポーツ政策によって引き起こされています。

2012年に出された「幼児期運動指針」では、保育者とともに保護者も子どもの体力問題への対応主体に位置づけられました。しかし、家庭や家計に依存した対応策は、格差をいっそう広げるだけです。

 

 

教育基本法の改正でも見られたように、いまの政治体制の下では教育の責任主体を社会から家庭に移行させようという動きが強まっています。

子どもを持つことや、ひとり親家庭などの家族形態は自分たちが選んだのだから、子育てや教育は自己責任でしょうという論調です。

特にスポーツは子どもの生活からすると一般的に優先順位は低く、後回しになります。

強調したいのは、学力格差との違いです。 厳しい家庭環境で育っていながら学力を獲得している子どもはいます。自制心があり家庭学習の時間が長い子たちです。

親がいなくても、ひとりで学校から出された宿題をやり、学力を伸ばしていくことができます。学力については子ども自身の努力でなんとかできる部分もあります。

収入の少ない家庭の子はスイミングスクールや体操教室に行ったり、少年団に入ったりすることもできません。家でひとりではできないのに、社会のなかで保障し、サポートする仕組みがないことが、学力格差と体力格差の大きな違いです

戦後の学校体育は体力、運動能力の向上が使命とされてきた結果、運動の技術を習得させることに重きが置かれ、多くの運動嫌いを生み出してしまいました。

子どものときに学校体育などの義務的な場で運動させてトレーニングさせれば、体力は一時的に上がるかもしれません。

しかし、運動と人間の関係は卒業後も一生涯続くわけです。学校で運動を嫌いにさせてしまったら意味がありません。

そこで、1970年代に学習指導要領が変わり、運動の楽しさや喜びを味わわせることが大事で、それを存分に味わうことを体育の授業でやっていこうとなったのです。

ところが、いまだに運動技術を習得するための授業になっています。

技術の習得に重きを置きすぎて、子どもにとっては「やらされる体育」になってしまっているから嫌いになるのです。

それぞれが楽しい、得意だと思えるやり方を練習し、披露させるなど、面白さを実感できる授業にすれば、休み時間にもやってみようと思うようになります。

スポーツ格差を解消するためには、自分から運動しようとする子どもの気持ちを育む授業に変えていくことが大事です。

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