仕事のうち、本当に価値を生み出しているものはどれほどあるのか考えるとあまり多くないような気がします。
作成したところで誰も読むことのない書類や、本心では「どうでもいい」と思っている作業に無駄な労力をかけざるを得なくなったことは多いです。
あるいは、職業そのものがクソどうでもいい仕事である可能性すらあります。
こういう仕事が増え続ける一方で、社会的に価値あるエッセンシャル・ワークが厳しい環境に置かれています。
クソどうでもいい仕事とは完璧に無意味で、不必要で、有害でさえある有償の雇用形態の仕事です。
代表的なものにドアマン、受付嬢、企業弁護士、お役所仕事、不要な上司などです。
こういう仕事は、単にどうでもよかったり有害だったりすることに意味があると見せかける演技や欺きが強制させられることです。
どうでもいい仕事をを強いられれば、精神的にネガティブな負荷がかかります。
全く意味のない作業を反復継続させられることが一番苦痛なのです。
自分が世界に対して何かしらの貢献を感じて働くことは、人間にとって生きている実感や喜びの自己肯定感を見出す重要なことです。
高収入や好条件の仕事であっても、無意味なことを強いられると苦痛を感じるのは、自分が世界で生きている意味を否定されるからです。
賃金労働を通してこそ生活が可能になるという発想をもとに、失業や貧困者が増えれば雇用を創出する必要があるという考えに至るようになります。
行政は困っている人に対して単に給付金を与えるのではなく、働ける者にはなんらかの形で「労働」をさせ、対価を支払う形で支援します。
その「労働」が無意味で、環境破壊につながるような内容であったとしてもです。
労働に価値を置く考えは、働かざる者、食うべからずという発想と結びつくような、労働を至上と考える思想です。汗水たらして働くことを美徳化している日本人には最適の思想です。
その思想が今ここまで強固になったのは、資本主義の発達です。
日本の社会では苦痛を伴ってこそ仕事だという考えや、何の目的に奉仕し、何に役立つのかということよりも、労働そのものに価値があるとみなす風潮があります。
社会人という言葉にも、仕事をしてこそ一人前と認められる、仕事をすることが道徳的だというニュアンスが感じられます。
目的を達成することが仕事の名目なら、終わった時点で帰ってもいいはずです。
しかし実際には仕事を早く終わらせても、ほめられるよりも早く帰ることに対して怠惰を指摘されるため、効率よく仕事をこなすより仕事をしているふりをすることのほうが重要になってしまいます。
決められた時間に働いていなければならないという考え方は、最近生まれたものです。
普遍的な仕事のあり方とは、必要なときに集中的に仕事をして、それ以外は、ぶらぶらしているといった、例えば農業のようなものでした。
現代社会がこんなにお役所仕事を増やし、ペーパーワークを増やしているように見える理由は、人間が本質的に競争するものだという考えに基づいているからです。
競争させることで管理・統制できる領域が増え、強化できる、また利益も上昇するという意識に根付いています。
現在の資本主義は、生産や製造からではなく、不動産や株、投資、金融などのサービスを通じて利益を上げるという形態にシフトしています。
これまで蓄積されてきた価値だとか、人が作ったものを買い上げて商標登録や著作権をつけ、そこから利潤を上げていく形に変わりつつあります。
無価値な仕事を無くすには、労働から解放され、自分の人生を好きなことでプロジェクトを進める新しい世界を創造することです。
自分たちの仕事を無駄だと思いながら一日中書類を埋めるよりは、はるかに幸せになると思います。
実際にはまだまだ労働から解放されてはいませんが、物質的にはその条件が整い、様々な競争をする必要のない世界になってきています。
将来的にAIやロボットで代用できる労働は全てなくなるでしょう。
まさに労働の必要のない世界です。
一億総株主になれば配当だけで生活できる人も出てくるのではないでしょうか。
海外ではベーシックインカムがすでに導入されている国もあり、日本でも議論されています。新しい時代がもう足元まで来ているのかもしれません。