米国の調査によると、楽観主義者と悲観主義者を比較したとき、成功者には圧倒的に楽観主義者が多かったということです。
楽観主義は裏を返せば、失敗を恐れずリスクを取ってガンガン攻めることができるということにもなります。
経営者や著名人などで、いわゆる世間的に成功していると思われる人たちは、まず例外なく楽観主義者です。
ただし、この楽観主義者たちは楽天主義者と違うことです。楽天主義とは何もせずに、何の根拠もなく「なんとかなるさ」と気楽に考える人たちです。
楽観主義者というのは、現状認識ができた上で、何かをなすためには何をやらなければいけないか、どんな準備が必要かをしっかりと認識しています。
それを実際にやった上で、後は人事を尽くして天命を待つことが重要なのです。
これを逆に言うと何か問題が起きたときに悩むのではなく、解決しうる課題として受け取ることができる人たちだということです。
悩む前に問題を客観的に把握し、改善点を明確にしたうえで、100%解決できないまでも、少しでも良い方向にもっていくことができます。
それに対して悲観主義者はそれが解決できない問題だと思うとクヨクヨとよく悩みます。
何かしら願望や欲望があったときに、それを達成しえないと考えた場合の葛藤が悩みということになります。
お金が欲しいと思ったら、なぜ自分は貧乏なのかと嘆く前に、どうしたら収入をアップし、貯金をすることができるかその方法を考えてみることです。
どんな問題でも、何かしら行動することで改善可能と考える人が楽観主義者です。そして成功者や将来お金を稼ぐことができる人は、嘆いたり落ち込んだりする時間があったら、それをどうクリアするかを考え、前向きに取り組むということです。
それを実践できる人が、成功に近づき、結果としてお金を稼ぐことができる人なのです。
お金はあくまで結果として付いてくるものですが、お金を目的にしてしまう人がいます。お金を稼ぎ増やすことが最終目標ですから、一時的にそういう人は稼ぐことができるかもしれませんが、結局長続きしません。
バブルの時に派手にお金儲けした多くの人が、その後消えたように、継続的な成功は難しいのです。 そういう人の周りには本当に力になってくれる人が集まりません。
羽振りの良さにあやかろうという人や、上手にだましてお金を巻き上げようという怪しい人たちが寄ってきます。そういう関係は、金の切れ目が縁の切れ目で、状況が悪くなるとクモの子を散らすように去っていきます。
常に自分が徳をしたいと考える人は、継続的に成功することは難しく、本当に豊かな人生を送ることはできません。
人間として生きる最終目的は、いかに良い共同体を作り、そこで他者と関わりながら成長するということなのです。
セミリタイアすると孤独になりますので、ある意味幸せでなくなるのかもしれません。
共同体の中でそれぞれが自分の役割と存在意義を持ち、居場所を持つことで幸せを感じるようにできているのです。
どんなにお金をたくさん持っていても家族や仲間たちがいない人は決して幸福ではないということです。
人間の悩みや問題は突き詰めるとすべて人間関係から来るものです。
よい共同体を作り、そこに属し、良い関係を築くには究極的には我欲を捨て、他者に与えることです。
他者に対して何かしてあげたい、役に立ちたいという思いを持っていれば、日常のちょっとした行動にその片鱗が現れてくるはずです。
人が嫌がるような仕事もあえて引き受け、ちょっとした日常の自己犠牲を積み上げていくことで、大きな流れとしてそれは必ず帰ってきます。
人の見ていないところでごみを拾ったり掃除をしたりする陰徳を積んだり、見返りを求めず、他者のために労を惜しまない人は、不思議と人の評価が上がり、人が寄ってくる人物になっていくのです。
聖書ではこの事を「与えられるより、与える方が幸いである」と表現しています。
他者に与えること、そして見返りを期待せず、陰徳を積むこと、それが他者との関係を豊かに築き上げます。
人間の最終目的である共同体感覚を目覚めさせ、お金も含めて、豊かな人生を実現することになります。