日本ではお金の話をするのがマナー違反とされがちで、家庭内や職場内でも、投資に限らず、お金に関する話題はほぼないです。
また、今まで学校でも金融リテラシーを高めるような授業は行われず、お金に関する知識もないまま大人になります。
投資とは、「お金にも働いてもらう」ということですが、「汗水垂らして働くことが美徳」とされるのが日本です。
労働を美化しすぎて、自分の体を使わず、汗をかかずにお金を稼ぐことに強い抵抗感があるのです。
逆に、投資をしている人は、楽して儲けるイメージになっています。
そういう考えが投資をしている人との間に格差を生じ、自らを貧乏にさせているのも事実です。
ちなみに日本の家計が投資にまわしている平均は金融資産の13%、対してアメリカでは約半分もの割合を株式や投資信託で運用しているというデータがあります。
これには、米国株の歴史的な高パフォーマンスや、かつての日本の高預金金利時代など様々な背景はありますが「お金に働いてもらう」という意識の違いが出ています。
さらに言えば、日本人は農耕民族で限られた農地で耕作を行います。
収穫量は限られているので、誰かが食べる量が増えれば、誰かが食べる量が減ります。
また、耕作は村社会での作業ですから、みんなで働いて、みんなで分け合うという、ある意味、共産主義的な発想になります。
誰かが儲けていると、誰かが割を食うという思考が刷り込まれています。
一方、狩猟民族は狩りをしたぶんだけ獲物を捕り、誰かがイノシシを1匹狩ったからといって、自分の取り分が減るわけではありません。
自分が食べられないのは、自分が狩りをしないからという自己責任の世界です。
この狩猟民族の考え方は、ビジネスにおける「自由主義」となって、欧米人の中に根付いています。
残念ながら、投資をしない日本人が村社会の農耕民族的な発想でいる限り、お金に働いてもらうことはできず、総貧乏になっていくのでしょう。
多くの人はコツコツと貯蓄することは堅実な行動だと考えていますが、お金に対する強い執着心を誤魔化すための方便であることがほとんどです。
ただ無目的に貯蓄しているだけでは、大きなお金にならないことは、誰の目にも明らかです。
お金は事業や株式、あるいは自分自身など、何らかに投じなければ大きく増やすことはできないのです。
5億円の宝くじを当てるような人でもない限り、この法則から逃れることはできません。
こうした事実が分かっているにもかかわらず、なぜか人はお金を投じることができません。それはお金というものに過剰な執着心を持っているからです。
人間は若い時には後先を考えず思い切った行動を取ります。
学生から社会人になったばかりのころはこうした感覚をまだ維持している人が多く「先のことなど考えても意味がない」などといったセリフを口にしています。
ところが25歳から30歳くらいの年齢になってくると、一部の人は保守化が始まり、現状を肯定するようになってきます。
さらに30代に入ると、かなりの割合の人が、強烈な自己肯定のフェーズに入ってきます。
この段階に入ってしまうと、事実関係の認識さえも以前とは変わってくるようになるのですが、その代表的な例が、過剰な貯蓄と堅実さの混同です。
つまり若いうちから投資していないと、リスクばかりを考えて何もできない状況に陥ります。
中年になってから投資を始めても、保守的になるがゆえに失敗すればほとんどの人が退場してしまう可能性が高いです。
いくら貯金をしたとしても、仕事を失ってしまえば、貯金で食いつなげる期間はたかが知れており、強烈なインフレになってしまえば、貯金など一瞬で無価値になります。